梅田望夫さんのはてなブックマークがすごい、話のつづき

はてなブックマークにはまだ先がじゅうぶんありそうだ。
わたしは4月1日からはてなブックマークの使い方を変えた。アメリカ西海岸のインターネット産業の記事を英語で読んで、ブックマークして英語でコメントをつけていくというものだ。これはいまのところ人気がない分野だということはわかった。だがそれで話が終わりではないということも同時にわかったような気がする。ちょうど1か月使ってみて、それがおそらく見当違いではないということが確認できた。
きっかけはそれほどおおきなことではなかった。なんというか、おむすびがどんどん転がっていってしまった、という具合だ。

まずは「おむすびが手のひらから落っこちた話」から。

はてなブックマークを一から作り直す、という話をnaoyaさんがしていたので、それについて思うことを少しばかり書いてみた。

次に出てくるはてなブックマークは、大きな議論を巻き起こすことになる。そして、それはユーザに大事な決断を迫るようなものだとわたしは予想する。
どうしてそう思うのか。ひとつには、フェースブックの話が思い当たった。
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ズッカーバーグは謝罪文のなかで、機能の装備(実装)よりも、運用の点でミスが大きかったと認めている。どちらかといえば、Beacon機能を開発したこと自体は間違っていなかったのだろう。それはフェースブックがやらなくても、誰かがやっていただろうという意味だ。だが話の展開からすれば、フェースブックが誰よりも先にこの機能を世に問いかけた。そこで非難の矢がいっせいにフェースブックに放たれた。これが話の顛末ではないかとわたしは思っている。
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ズッカーバークがやったことは、多くの人の望むものをできるだけシンプルに提供するということだったようだ。
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それでもズッカーバーグは、思い当たったこと自体が間違いだとは認めなかった。わたしはその一徹さに打たれた。なかなか見所がある、と思った。

ここでわたしが言いたかったことは、大胆にやっていいと思うよ、ということだった。はてなブックマークにはなにか新しい可能性がありそうだったから。伊藤直也さんに、マーク・ズッカーバーグになってほしかった。

つぎに「おむすびが転がりはじめた話」をしよう。

3月24日のエントリで、naoyaさんがはてなブックマークの作り直しについて詳しい話を聞かせてくれた。
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なるほど。こうやって考えるとnaoyaさんはギークなんだろうと思う。「長く続いているサービスですし」という言葉で、それがベゾスのトレンドに焦点を当てる姿に重なる。こういった一徹さはnaoyaさんにしか生み出せない価値なのだろうと思う。「オリジナルが持っていた機能をしっかり実現する」ためにはオリジナルが多くの人に必要とされていることが条件だ。つまり、はてなブックマークは多くの人の承認を受けているからこそできることで、これは逆にはてなブックマークの存在意義を証明していると思う。このあいだのエントリでぼくは「大胆にやっていいと思う」と書いた。だがnaoyaさんの尋常ではない一徹さ、「ぶれなさ」に出会って、なるほどこれがギークか、と考え直した。

ここでわたしが言いたかったことは、自分が「ギークに惹かれてしまう、スーツの成り損ね」といったところか、と思ったことだった。それで自分はギークになろうかスーツになろうかと考えてみた。そのときなにかがひらめいた。
そうだ、ソーシャル・ブックマークをつくってみよう。
たぶん、時間をしっかりそのために割けば、作れなくはない。多くの人の望むものを、できるだけシンプルに提供する。ズッカーバーグになろうと思った。英語の記事を読んで、どの部分が印象に残ったのか、自分とほかの人のために記録していく。できれば機能が極限までシンプルで、なによりも速いのがいい。欲を言えば英語しか使えないようなものがいい。そしてそのことを妻に話してみた。おもしろそうだね、と言ってもらえた。
よし、まずは自分が実験台になって、どこまでやれるのか試してみよう、というわけで4月1日からはてなブックマークで実験を開始した。

ここから「おむすびはゴロゴロと転がっていく」話。

まず、ほかの人がやらないようなことをやってみたかった。そうしたら、自分のブックマークを楽しみに待っていてくれる人が現れるかもしれない。
最初はブックマークをたくさんつけようと考えて空回り気味だった。だいたい3週間くらいつづけて、ようやく自分なりの方法を見つけてきたかな、と思った。

  • アメリカ西海岸(シリコンバレー>>>シアトル>レドモンド)発であること
  • ブログ記事(署名あり、コメント欄あり、会員登録なし)を優先
  • アメリカ西海岸以外(インド>ニュー・ジーランド>英国>マサチューセッツ>ニューヨーク)のブログを優先

こんな具合だ。
だが、これでもまだ不十分だと思った。ほかの人がやらないようなことをつづけるのは、けっこうむつかしい。というわけで、もうすこし考えてみた。そこで思い当たったことがあって、それをリストにしてみた。

  1. 文系のオープンソースの道具、ソーシャル・ブックマークを手あかがつくまで使いこむ。
  2. 新しい知らせの蛇口を極限まで絞って、自分の桶に入るだけ流しこむ。
  3. かぎられた字数でコメントをつける。
  4. テクノロジが文系の「考える人」を後押しするためには、テクノロジの土俵から一歩抜け出す余裕をつくる。
  5. インターネットはフラットな世界なので、「本場」という考え方には馬耳東風を装う。
  6. 日本に輸入されたあとの商品には、手をつけないでおく。
  7. グーグル・ニューズは後ろから読む。
  8. 英語版のコンピュータ・システムを専用に用意する。
  9. 昔話をたくさん読んで、お気に入りの人物を机の右側に常備しておく。
  10. 目覚ましをかけないでぐっすり眠る。

とくに最後のふたつは人を説得するには、ちょっと無理があるかもしれないけれどわたしはどちらかといえば、歩きながら考えるのが持ち前だと思った。自分を変革するには、身体的な改革から入る。生活習慣を変えて、そこから生まれてくる日常の風景から、なにかを作り出す。それが自分のできることかなと思った。脳みそって、けっこうフィジカルにできていると思う。筋肉みたいなものだよな、とか。

さて、「おむすびは転がった先でゴツンとなにかにぶつかった」話。

なぜかわからないけれど、わたしがはじめたのとほぼ同時に走りはじめた人がいた。それも予告なしに。

ところで最近、梅田望夫さんのはてなブックマークがすごい。4月から堰を切ったようにたくさんの英語記事のブックマークを再開されている。それも半端なものではない。どうしたらこれだけの質を保って記事をたくさん見つけられるのだろうか、と感心してしまった。

そう、梅田さんだ。これは不思議なことが起こるものだ、はじめはそう思いながら眺めていたが、だんだん話がずいぶん先に進んでいるみたいだ、ということに気づいてこれはちょっと特別に追いかけないと気が済まないぞ、と思った。
気が済むまで追いかけてみよう。そこからなにかが見つかるかもしれない。
というわけで、昨日かな、すごいものにぶち当たった。

こいつはすごい、と思った。
この三部作は、なにがなんでも読まなければいけない、と思ってぜんぶ読んだ。かなりタフだった。新しいことが書かれているから、理解するのに時間がかかる。いちど読んだだけでは理解できないので、なんども読み返した部分もある。それでわかったことは、たぶん、こういうことだ。
これからは、ほんとうの意味で、おおきな挑戦ができる。
すくなくとも、スモールビジネスをはじめたばかりの自分には、この最後の「ダンシング・ウィズ・ゴリラズ」というのが決定的な機会だ。
どうしてこのReadWriteWebはこんなすごい情報源をもっているのだろうか、と思った。
そして、その答えはたぶん、ひとつしかない。
ウェブのおかげだ。
ブログ・ネットワークを長くつづけてきたおかげで、知恵のネットワーク、あるいは「公開された脳みそのネットワーク」がそこにできた。しかも、無料で誰にでも読める。これは明らかに、前にはなかったことだ。ウォール・ストリート・ジャーナルやフィナンシャル・タイムズでもこんなに質の高い「脳みそのネットワーク」はないのではないか(ルパート・マードックはいったいなにをしているのだろう)と思った。これはやはり、「公開された」というところにみそがある。間違いない。やはり、情報は自由を欲するのだろう。(Information wants to be free.)
いつのまに、こんなことが起きていたのかと驚いた。ちょっと、がっかりした。最先端のことが、あまりに遠くへ行ってしまっている。これでは自分の出る幕がないのではないか。
でもひょっとしたら自分はまだ、追いつくことはできるのではないかな。そんな気もする。
とりあえず、できることからやろう。
梅田さんのブックマークはとりあえずぜんぶ目を通す。そのうち自分に近しいものから、ブックマークをしていく。あとで振り返って「これは掘り返してみよう」と思ったら、迷わず掘り返す。とにかく、毎日つづける。
そこから、「ギークにはなれないかもしれないけれど、いちおうアスリート」くらいにはなれるかもしれない。