梅田望夫『ウェブ進化論』を読んで

港区は急に雲が多くなってきたようです。雨ですね。
[なぜぼくが合同会社を作ったのか]エントリのつづき。
ぼくが翻訳をやる会社を作ろうときめたきっかけはいくつかある。だが『ウェブ進化論』ほど決定的だった別のきっかけは、思い出せない。
ウェブ進化論』を知ったのはいつだったろう。たぶん、ぼくが渋谷に毎日行っていたころで、どちらかといえば寒い時期だった。ごく短い期間だったが、1日1冊くらいのペースで新書を買いあさっていた。自分のものさしを見つけようとしていたのだと思う。いま、自分の進んでいく道がひとつへと定まっていき、それ以外の道は自然と遠のいていくだろうという予感があった。だから必死だった。『ウェブ進化論』と出会ったのは、必然だったと思っている。
なによりも『ウェブ進化論』を読んで感じられたのが、「言葉を選んで語ったときの伝播力の強さ」だ。言わなくてもわかるよね、というような暗黙了解事項にも光を当てようとする筆者の意図、それは新鮮な驚きだった。梅田望夫さんの文章を読んで、とっさにぼくは村上春樹さんの文章を思い出した。そしてこう思った。「この本はもういちど読み返すことになるだろう」
内容はAmazon.co.jpのカスタマーレビューを読んでいただければと思う。ぼくがなによりも強く動かされたのは、人になにかを伝えようという意思は世界を変えるということだ。「どうせわかってもらえない」「なんでそんなこともわからないんだ、もう」「オレがいくらがんばってみても、変わらないんだろうな」などという思いをどこか抱いている自分がいた。でもそれは違うということに気づいた。自分もこのまま生きていけば、「わかってくれない年寄り」の仲間入りだ。自分がどれだけ努力しても、年をとることを止めることはできない。若い人たちを苦々しく思うときが来るだろう。だが、それは「このまま」生きていったときの話だ。「このまま」でなければ、おもしろいことを「おもしろい」と言える年長者になれるかもしれない。そうすれば、いまここでくすぶっている自分は、救われるのではないか。「ああ、あのとき苦しんだことは、無駄じゃなかったんだ」と。

「9月11日という日が自分の前半生と後半生を分ける分岐点となるに違いない」と予感した。それを聞いたある友人から「君は珍しいモノの考え方をするねぇ」と半ば揶揄のこもったコメントをもらった。
確かに考えてみると「大きな環境変化が起きたときに、真っ先に自分が変化しなければ淘汰される」という「シリコンバレーの掟」に、私は知らず知らずのうちに強く影響されていたのだろう。その段階ではまだイラクでの戦争は起きていなかったし、9月11日という日を境に世界がどれほど大きく変わるのかはまだよくわからない状況にあった。
でも「前半生と後半生の区切りだ」くらいの構えで新しい自分を構築していく決意を持った方が、これまでの生き方に固執するよりも「リスクが小さい」と、私は確信していた。本質的変化に関する一つ一つの直感を大切に、「時間の使い方の優先順位」を無理しても変えてしまうことで、新しい自分を模索していきたいと思った。そして「自分(1960年生まれ)より年上の人と過ごす時間をできるだけ減らし、自分より年下の人、それも1970年以降に生まれた若い人たちと過ごす時間を積極的に作ることで次代の萌芽を考えていきたい」と思う気持ちが強まり、その原則に従って生きることにした。

ぼくの世代でネットベンチャーで働くとか、自分で企業を興すだとか、そういったことは珍しくない。だからそのことについては、梅田さんの文章を読まなくても肯定的にとらえていただろう。だが話は違う。ぼくは大学という、より大きく、より確かで、より世代を越えて認知された場所での経験を積み重ねていた。「このままがんばっていけば、ずっとこの大学にいられるはずだ」などと考えていた。その頑固な自意識は、ほとんど誰にも切り崩せないようなものだった。だが、それはぼくより19歳年上の梅田望夫さんによって、簡単に切り崩された。驚くほどあっけない、爽快な事件だった。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

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