有料ニューズで儲ける方法

この数年のあいだ、新聞やテレビにお金を払うのをやめて、ニューズの情報源にはインターネットとしてきたのはわたしだけではないと思う。
たいていの一面記事、トップニューズはインターネットでも知ることができる。駅のスタンドで日経新聞を買ったり、NHKの7時のニューズを見るために毎月受信料を払わなくても、知ることのできるニューズ情報の質はそう変わらない。Yahoo! Japanのホームページを開いていれば、地震速報だってテレビより早く知ることも不可能ではない。そう考えれば、新聞やテレビにお金を払わなくても、世間から取り残されない程度に暮らすことはできる。
そういった理由で新聞やテレビにお金を払うのをやめていた人にとって、NIKKEI NET日本経済新聞電子版になったことは寝耳に水だったのではないか。
じつを言うと、わたしもそのひとりだ。
全国紙の社説はインターネットで読んでいたわたしは、自分は情報弱者ではないという思い込みで、いくぶん天狗のようになっていた。朝日と産経がまるで正反対の主張をつづけつつも両者とも安全なシェルターにとじこもっていると醒めた目で傍観したり、市況や為替などもNIKKEI NETの提供する情報で十分足りると満足していた。それはそれでひとつのやり方として成り立っている、と思い込んでいた。世の中にはいろいろな人がいるけれど、自分みたいな人がいてもおかしくはないはずだ、という慢心があった。
ウォール・ストリート・ジャーナルフィナンシャル・タイムズがインターネット版の購読料をとる戦略に深く踏み出したことを、わたしは冷ややかな目で眺めていた。情報は課金で囲みこんではいけないのだ、情報は自由(無料)を欲するとまで思っていた。
ところが1月にアップルが「アイパッド(iPad)」を発表してから3か月してみると、日経新聞まで課金制を堂々と開始している。これはわたしにとって、少なからぬ衝撃であった。
英語でニューズを読めるというインターネットの特性を生かして、日本の全国紙が大々的に報じそうなことは先回りして仕入れてきたわたし。日経新聞はありがたい存在だけれど、べつに読まなくても大丈夫だよな、と思い込んでいたところがある。いざとなれば英語圏の著名ブロガー100人ほどをストックしておいて、それを読み流していれば取り残されることはないだろうと無意識に思っていた。
だが、この2週間ほどわたしはなにか、日本のニューズから取り残されたような感覚を感じ始めていた。というのはNIKKEI NETのトップページを開いても(これまでは1日30回ほど開いていた)株価のチャートがそこに躍っていないのだ。あれ? と思うほどわたしの感覚は鈍くなっている。株価がいつのまに1万1000円を回復している。景気の浮き沈みは世の常、そんなに一喜一憂することはないと思い込んでいたわたしは、この2週間ほどで驚くほどに世事に疎くなったような感じがした。
思い直してみると、わたしは日本の経済情報については日経新聞を頼りにしていたのだ。「すごく頼りにしていた」といってもいい。
社説の読み比べは相変わらずしていたものの、「今朝の社説でこう言っていたから今日から行動を変えよう」といった場面はまず起こらない。ところが、株価というのは誰が見ても同じ数字で、それをごまかすことはできない。「それは見かたによるでしょう」といった言い訳はきかない。誰が見ても同じ価値、世の中の趨勢が上向いているか下向いているかを冷徹に判決したのが株価だ。午前9時から午後3時まで、日経平均株価のチャートの姿が刻一刻と塗り替えられていくのを見ながら自分の仕事に取り組む。それがわたしの習慣となっていた。何の気なしに見ていただけに、無くなってみるとどうにも落ち着かない。いや、日経平均のチャートならヤフーでもグーでも見られるじゃないか、というのもわかる。だが、わたしは普段、いろいろ選べる中でもヤフーやグーではなく、NIKKEI NETで見ていたのだ。そこには言語化されていない強い動機付けがあったはず。それだけに、失ったことの空白を言語化するのもむずかしい。
空白の2週間。
そしてアイパッドの発売。アメリカでの熱狂的な反応と、それを遠巻きで眺める冷静派のぼやき。日本ではアイパッドの反応は? と思ったとき、わたしはやはりNIKKEI NETが頭に浮かんだ。
わたしはいつのまに、日経新聞の求める新しい読者像のひとつになってしまったのだろうか。そのうち、毎月インターネット・プロバイダに支払う額と同じだけの購読料を払っていくのだろうか。


ウォール・ストリート・ジャーナルの良質記事を読むには、購読者になる必要がある。マイクロソフトがヤフーを買収しようとしていたとき、スティーヴ・バルマーがジェリー・ヤンとどこの空港でいつ面会しただの、どこのゴルフ場で誰を交えてプレーしただの、といった情報は興味深いし、実際問題アメリカの主要企業だから株価の行く末も気になる。グーグルとアップルがスマートフォンをめぐって競争激化しだすと、エリック・シュミットとスティーヴ・ジョブズがいまどんな仲にあって、いつ以来会っていないのか、どんな話をしたのかといった舞台裏の情報は知りたくなる。ウォール・ストリート・ジャーナルは独自の情報源ネットワークをもっている。ほんとうに読みたいときに、読みたい情報を提供してくれる。こういった情報を読もうとしたら購読者になるのがいちばんだ。購読者でなくとも、途中までは読めるのだが、いちばん読みたい部分を読むには、お金を払う必要がある。手続きはそんなにむずかしいことではない。インターネットから、その場でできるはずだ。だが、問題はそこにはない。
問題は、インターネットでは情報は無料であるべきという意識と、インターネットでは情報は無料で読めるという無意識のせめぎあいである。
わたしはいま、ひとつの岐路に立っているような気がする。
払うべきか、払うべきではないか。


手前味噌になってしまうが、ウォール・ストリート・ジャーナルが有料で提供してきた情報は、必ずしもお金を払わなくても手に入る。というか、入る場合も多い。
それについては、知っている人は知っていて、知らない人は知らないのだが、とにかく方法はなくはない。
たとえば、カラ・スウィッシャー氏のような元記者が自前の情報源で提供しているブログ「ブームタウン(BoomTown)」などはスティーヴ・バルマーとジェリー・ヤンの話もけっこう書いてくれていた。元雇用主と喧嘩にならない程度に。
それから、スウィッシャー氏と同じやり方でテクノロジ企業の舞台裏の情報を提供し続けているマイケル・アーリントン氏のブログ「テッククランチ(TechCrunch)」などは、日本の企業が翻訳契約を結んで日本語版を展開しているほどだ。
さらに、わたしなりに付加価値の高い情報源と見ているのが、ウォール・ストリートのアナリスト出身であるヘンリー・ブロジェット氏のブログ「ビジネス・インサイダー(The Business Insider)」だ。
なぜこれが高い付加価値をもつかといえば、ときどき有料記事から抜粋でおいしい部分を引用して提供していることがあるからだ。ウォール・ストリート・ジャーナルにお金を払って読んでいる人が付加価値を認めている情報を、ちょっとしたトリックで一般市民に垣間見せる。しかもその情報の選別を行なっているのはウォール・ストリートでも凄腕と言われたブロジェット氏だ。ブロジェット氏はテクノロジ関連のブログ「シリコン・アレイ・インサイダー(Silicon Alley Insider)」をその名のとおりシリコン・アレイ地区(ニューヨークのテクノロジ街)で始めた。それが好評を博して、徐々に本業であったアナリストとしての情報源ルートを生かし金融業界全般で、舞台裏の情報をブログに提供する「ビジネス・インサイダー」へと発展させ、大きな収益をあげることになった。
ブロジェット氏のようなやり方は、有料ニューズで儲ける方法といって差し支えないだろう。本来ならばウォール・ストリート・ジャーナルやフィナンシャル・タイムズの稼ぎ頭といえる舞台裏の情報を、まるで神々から人間に火を与えたプロメテウスのように、惜しみなく提供しているのだ。
やり方さえ知っていれば、有料ニューズそのものではなく、有料ニューズを市民に提供するルートにこそ付加価値が宿ることを生かし、金を儲けることができる。


NIKKEI NETが日本経済新聞電子版になったことによる最も重要な変化は、有料ニューズで日本経済新聞が収益を上げられることではない。日経新聞の有料ニューズに価値を認める人がいる一方で、有料ニューズに関心があるけれど付加価値を認めるか認めないか決めかねている人を相手に、武器商人のようなビジネスを展開する方法がひとつ生まれたということである。
誰がそのようなビジネスを展開するのかはまだわからない。それを目指す人はたくさんいるだろう。しかし、誰もがうまく行くわけではない。プロメテウスのような「神々から人間へ」の橋渡しを成功させることは、たやすいことではない。だが、プロメテウスがそうであったように神々の怒りを買って鷲に肝臓を食われる罰を受ける覚悟もある、そういった心意気のある人にとっては、むしろよい時代が訪れたのかもしれない。