「ウェブ進化は“女”が担う」を読んで(2)

<前編

梅田望夫さんと大前研一さんの対談。[Voice]2007年9月号。
ぼくが興味深く読ませてもらった部分を少しだけ。

梅田 そうですね。インターネット上では、国境よりも言語圏で大陸が分かれている感じです。それに関していえば、たとえば僕が十三年前にアメリカに行ったころは、よほど努力しなければ日本語の情報にありつけませんでした。逆にいえば英語がきちんとできるように、だんだん鍛えられていった。ところが最近の若い人たちは、アメリカを放浪していても、PC一台もって、(中略)リアルタイムで日本語を使って「おい、いまデンバーにいるぞ」といっている。(中略)よほどのモチベーションがないと英語漬けにはなれない。

大前さんと梅田さんに共通すること。

  • 比較的若いうちから英語漬けの生活を経験した
  • 現在進行形で国境を越えて両方の経済圏から収入を得ている

これだけ見ると、ぼくらとはずいぶんかけ離れているなあ、と思ってしまう。このふたつの条件を満たすことのできる20代の若い人たちは、限られている。だが、ひとつ付け加えなければいけないことがある。

  • 日本の若い人に絶望しているのではなく、教育することを考えている

これはほかのエリート・ビジネスパーソンとは決定的に違うところではないか。
大前さんの「女の子の携帯文化は、世界一ユビキタス」発言に加えて、梅田さんの発言。

1975年生まれがいま三十二歳。八年たてば、四十代以下はすべてその人たちで占められますから、そのあたりの時期に、かなり大きな社会の変曲点があるように感じます。

大前さんが期待している若い人の素質は、

  • インターネットを使える
  • 英語を自由に使える
  • 携帯電話を使える

この三つではないかと理解しました。
梅田さんは前から言っているとおり、

  • 1975年生まれ以後の世代

に期待している。自分はそのすべての条件にとりあえず当てはまるということに気づいたんです。それで、日本人としてできることを考えてみたら、

  • 翻訳を自由にできる環境が
  • インターネットを通じて
  • ときには携帯からも操作できる

そんなものがあれば、けっこう役に立つのではないか。こういう計算結果というか思考結果が生み出された。これは大事にしてみようと。
(part 2 of 2)
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