これから起こる何かを待ちつづけ、考えつづける人たち

ここ数日、おもしろいと思うブログ記事にいくつも出会っている。

keitabandoさん。「著作権ムーアの法則の関係」と聞いて、期待して読んでみたら期待以上のリファレンスが満載されていた。日本のSNS動画共有サイトにまつわる著作権から話を始めて、そのあとに出てくるクリス・アンダーソン、リーナス・トーヴァルズの言葉はたしかにお腹にたまりそうだ。この文脈でロングテールハッカー倫理を援用するkeitabandoさんは誠実だと思った。そして梅田さんいわく「絶対に押さえておかなければならない」ムーアの法則

ムーアの法則は今後も情報を取り扱う産業を支配続けるんだ、という認識を前提とし、ウェブ時代をどう生き延びるか。
ヒントは自らがあるべき著作権観とインセンティブ論(有償より無償、金銭ではなく評価)を持つことで見いだせるのでは、と思う。
梅田望夫さんがおっしゃる「知と情報のゲーム」をどう楽しみ、どう生き延びるか。

keitabandoさんが「問題は著作権にあり」と紹介しているとおり、著作権についてはけっこう流れははっきりしているけれど、そのうえで「どう生き延びるか」という問いには答えがはっきりしていない。そのことを考えようというときに多くの人はふりだしに戻ってしまう。どうやったら「持てる人」になれるか、と。だがkeitabandoさんが問いの本質をしっかり見据えているところは誠実だと思った。ぶれていない。インセンティヴとして「有償より無償、金銭ではなく評価」と明記しているところも同意。

fuzzy2さん。梅田さんの新著を読了後まもなくの感想を書かれていた。抑制の利いた文章から内側のメッセージを受け取ることは容易ではないけれど、この部分だけははっきり力強いメッセージとして受け取れる。

もしフリーで仕事をするとしたら、もし実名でブログを開設するとしたら、どこで何をやることが「自分がやる意味があるのか」をずっと考えています。「何を」というのが見つかっていませんが、「どこで」は日本語圏には存在しないだろうなという確信が固まりつつあります。

fuzzy2さんは何かを待っている。虎視眈々と、目を開いている。そう、日本語圏という分け方は、地理ではなく言語で分けているわけだ。日本語圏=日本国内という意味ではなく、この前提から導き出せるのはたとえば英語圏が日本国内に入ってくる可能性かもしれない。たぶん、fuzzy2さんの考えているものはこういった形で実現しそうな気がする。

Ryu-Higaさん。シリコンバレーへの旅を予定されているとか。詳細はよくわからないが、Ryu-Higaさんの念願かなってのことらしいので、とても意味のあることだと思った。

僕は数奇な偶然でシリコンバレーに行く事になった。期間はたったの4日間。たけど、行く事には変わりない。そこで一体何を得るのだろう、ただシリコンバレーは実際に存在することを確認したいだけなのか。そう色々と考えた。その過程で、他の参加者に対する畏敬の念と、自分自身への劣等感を目の当たりにした。
「一体を何を求めて、羨望するシリコンバレーへ行くのだろう。」
その中で、上記のエントリーで「敗北感を認識するためにやってきた」という言葉があった。まさにこれだ。僕は危機感を失わないために、ものごとを考えるためにシリコンバレーに行くんだ。

熱い言葉だ。だがわからないことをわからないままにしている。それは大事なことだと思う。結論を急がなくても、まだまだ時間はある。