合同会社設立205日目、朝

港区は晴れ。昨日から暖かい空気が流れている。
グーグルの第1四半期決算発表のその後、は相当な議論を生んでいるように見える。グーグルと広告をめぐる新しい時代の幕開けと考える人もいるらしい。ひょっとしたらそういうこともあるかもしれない。グーグルが進んできた道はあまりにも目立つので、どのきっかけが新しい時代の幕開けのしるしなのか、考えてみてもよくわからない。わたしにとってはグーグル・ニューズは最初から利用しているとても大事なサーヴィスだ。だがこれが時代を変えたとまでは言い切れない。時代を変えるとは、人々の暮らしを変えるということがなければ看板のつけかえにすぎないだろう。だが人々の暮らしを変えるということにもいろいろある。日々の話題が変わったというだけでも、じゅうぶん暮らしが変わったと言えるのかもしれないし、お金の流れが変わらなければ暮らしが変わったとまでは言えないのかもしれない。だが今回のグーグルの話だけはこの2つの条件を満たしたという気がする。
グーグルはふたりの外野からの声をものともせず、つき進む。ふたりの外野とは、コムスコアウォール・ストリートのことだ。
コムスコアはインターネットの視聴率調査みたいなことをやっている。日本で言えば電通の広告に決定的な影響を与えるような調査といったところか。アメリカではこの視聴率調査がどうやらあまり当てにならないらしい、ということが判明した。

The company reported in 2008 that Google would have a significant downturn in their online ads click-through rate, as a result of the U.S. Housing Bubble economic hit, but ended up being off by 18%. Instead of the expected 1.8% growth, Google had 20%, bringing into question just how much comScore can truly predict in general about Internet traffic and growth.

アメリカ人の暮らしと広告の関係は、いま基本的な部分に修正を必要としているようだ。
ウォール・ストリートは証券取引の世界の中心だ。グーグルの急成長はやはり、ウォール・ストリートからの投資がどうしても不可欠だったろう。投資心理というたましいを集めて、新しい笛をつくる。その笛を吹いて、また投資心理というたましいを集める。そのくりかえしがどうしても必要だった。それがアメリカという国ではひとつのルールでもある。お金を集めてなにかをやろうとしたら、避けて通れない道だ。だがグーグルは最初からウォール・ストリートにこびなかった。そしていま、その姿勢はうまく当たったかのように見える。ウォール・ストリートからの無言あるいは有言の圧力でつぶされそうになっていたが、そうではなかった。「お前なんか、おれたちからすれば、たいしたやつじゃないんだよ」「いやだったら、退場してもらってもけっこうだ」とまで言ったか言わなかったかは知らないが、ウォール・ストリートの力はそのくらい宣告できるだけの強さがある。ウォール・ストリートはもはや証券取引の街というよりは、ひとつの約束ごと、あるいは制度になっている。だがグーグルは「制度なんて、こっちが変えればいい話だ」「そっちは勝手にやっていて結構」と言いたいように見える。
グーグルとウォール・ストリート。このかけ離れたふたりは、相当ややこしい段階を迎えているように見える。これからもつきあっていけるのか。なかにはコムスコアに罪をかぶせてウォール・ストリートの強さを見せようとしている人もいるらしい。だがこれもひとつの約束ごとにすぎないのだろう。問題の核心はそこにはない。
この話については、もうすこし考えてみたい。