合同会社設立218日目、朝

港区は曇天。いまの連休は暑くないので、じつに助かっている。鳥もいつもよりリラックスしているような気がする。
昨日は白州次郎の『プリンシプルのない日本』をぱらぱらとめくっていた。
これは白州があちこちの雑誌などに書いた細切れの、どちらかといえば時評的なものの集まりだと最初は見ていたけれど、読み返すうちにだんだん、そうでもないのかなと思えてきた。
「プリンシプルのない日本」と名づけられた書き物はさすがにおもしろい。

我々が現在声たからかに唱えている新憲法もデモクラシーも、単なる、かりものの域を脱しているとは思わない。我々のほんとの自分のものになっているとは思わない。新憲法なりデモクラシーがほんとに心の底から自分のものになった時において、はじめて「戦後」は終わったと自己満足してもよかろう。 (「諸君!」1969年9月号)

なるほど、そのときは「声たからかに唱えて」いたのだなとわかった。これはわたしにとっておおきな収穫だ。そのときには生まれていなかったのだから。
だがそれよりもおもしろいと思った白州のことばがある。

田圃の中へ跣足で入るね、そうすると、指の間へ土が入って、指と指の間が広がるわけだ。そういうことは普通の状態ではないことなんだ。何時間かそうやってることがいいらしいね。

これだけ引っぱってきてもわかりにくいと思うけれど、白州は水虫の話をしている。
彼は河上徹太郎今日出海の両氏との鼎談で、「俺は政治家なんかじゃないんだ」と言う。

 何だい、お前は。
白州 俺は百姓だ。

こういう物言いは、なかなか聞けないものなので、ぐっときてしまう。つづけて白州が言うのは、

筋肉労働は好きだな。知的労働はしないよ。ーー知的労働をしてると思ってるんだから、みんな甘いもんだよ。

「文藝春秋」1950年8月号)
なるほど。筋肉労働か。自分もそのうち人前でそう言えるようになりたい。