海辺の街に育って、海辺の街に移り住んで思うこと

海辺の街に住むことの美点は海風がくることだ。これは当たり前なのだが、当たり前のはずのものがこないときもある。東京というか江戸については自分なりに足で学んだ。よくできていると思う。こんな地形の場所はそう見つからないし、見通しもよければ風通しもよい、それでいて外と遮断されているので、江戸に首都を置いたというのはまちがいなかったと思う。1603年を起点とすればもう400年が経ったのか、考えてみれば400年というのは平安京の寿命でもあったという。東京の首都も寿命はいつかくるだろう。そして平安京の事実は無意識であれ意識であれ、わたしたちになにかを呼びかけているのかもしれない。わたしは建物がどうの、自動車がどうの、飛行機がどうの、ダムがどうのといったことはあまり言ってもしかたないと思う。それは長い目でみればこの島の身体の一部に消化されて吸収されていくものだと思う。それよりも変わらないものは、人間の身体だ。これはそうかんたんに変わらない。人間が進化してそのうちにべつの生物になるのかもしれないが、それはわたしの頭ではうまく考えられない。人間の身体がこのかたちを保っているあいだは、表面で起きているできごとはそのうちに消えていく。いまの東京の地上にあるいろいろなものは、長い目でみればこの島のかさぶたみたいなものだろうと思っている。海風は、かさぶたではなくて、この島の細胞と血液が内側から発した気なので、これはそうかんたんに変わらない。わたしはそういうものを大事に思っていて、海風がくる場所が自分の居場所だと思っているのでここにいる。それは自分でもうまく説明できない。