つぎの一手

人間の営みが地球の表面でしか行なえないということはつくづく因果なものだと思う。要するに、地下にもぐっても熱くなるし、空高く行けば空気が薄くなる。水のなかに潜るわけにもいかない。
インターネットとは、この世の表面に行ける場所がもうなくなったことに気づいた人間が、その越えられない壁を破る最後の一手だったのかなと思う。『シリコンバレー精神』を読んでいると、そんな気がする。

この地がアメリカという国の一部、しかも辺境の西部に位置するというとても重い事実

これがシリコンバレー精神の2つある土台のひとつをつくっているというのは、梅田さんの発した日本語のなかで、わたしにとってもっともその行間への興味がつきないことばだ。この「とても重い事実」は、わたしもいつか確かめてみたいという気がする。
もう行くところがない、というのは人間にとって、当たり前の越えられない壁だが、人間の歴史とはこれを打ち破る無茶な飛び込みの連続ではないかと思う。それはあらゆるところに転がっている。古くはトロイア戦争もそうだし、出エジプト記も、十字軍も、清教徒革命も、朝鮮出兵も、長征も、はてはアポロ11号も、無茶な飛び込みの結果という気がする。だがこれがなくては、空間移動、民族の移動はなかったと思われる。そしてシリコンバレーとは、20世紀の終わりにもっとも強い輝きを発した無茶な飛び込みの場所ではなかろうか。
その無茶な飛び込みを唯一成功させたかのように見えるグーグルが、つぎの一手を考えているようだ。
行き先は宇宙。
辺境の隅ではじめた小さな事業が発展して、人間の営みが地球の表面でしか行なえないという常識を破る、無茶な飛び込みが自分たちにはできると確信したグーグルが、それを足がかりに物理空間の限界をもういちど越えようとしている。NASAとの協力関係が誰にでもわかるかたちで発表されたのは、その決意表明といえるかもしれない。
なかにはその細かい事実関係を取り沙汰して、ラリー・ページとサーゲイ・ブリンが私用ジェット機NASAの滑走路で飛び立たせているとはけしからん、という勢力もあるかと思う。しかしこれは彼らからすれば、人間の限界を破ってきたのは無茶な個人だけだ、こんどは宇宙にむけて自分たちがやると思っているのだろう。ページとブリンはひょっとしたら、パリスであり、プロメテウスなのかもしれない。
グーグルという会社(あるいは考え方)がきわだっているのは、一見人間の歴史を冒涜するようなことを考えているようでいて、その裏側にはしっかりと人間の社会と契約を結んでしまっていることだ。グーグルの無料であることは、多くの人の喝采をひきつけている。それが表側で、ページとブリンのジェット機を支え、それがつぎの一手の駆動力になる。NASAはたぶん、自宅のガレージを貸したような気分でいるのだろう。エイムズ研究所の2%くらいなら、ガレージ程度だ。ガレージを貸したかわりに、なにかおもしろいことをやってくれるのなら、安い御用だと思っているのかもしれない。