「日本語が亡びるとき」を読んで(1)

翻訳という仕事を名前の一部にいれた会社を設立し、ブログをはじめたとき、わたしはいくつかの決め事を自分に課した。

  • 毎日英語で読む
  • 毎日日本語で書く
  • 誰にでもわかるように書く

この決め事のなかで、いちばんむずかしかったのは、3つ目のものだった。
誰にでもわかるように書く。
これはわたしにとっては、左腕でボールを投げるようなものだった。使ったことのない筋肉を無理に動かすような感覚で、筋肉がつってしまいそうなものだった。
わたしにとって、相手が誰と決めずになにかを伝える、知らせるために「誰にでもわかるように書く」ことは、そのくらい不慣れなことだった。それが幸か不幸かはわからない。
大学に8年間在籍していたわたしにとって、書くと言ったらまずは論文のことだった。論文はほとんどの場合、先生に見せるために書いていた。わたしは初めにどの先生が読むのか考えて、心が決まってから書き始めた。書き始めた時点で、もうすでに書き方は定まっていたようなものだった。あの先生ならこういった題材をよく知っているだろう、こういった文体を歓迎するだろう、結論はこういった色をつければよいだろう。そんな具合で、わたしの「書く」ことは、ほとんど私信と呼んだほうがよさそうなものだった。ほかの人が読むとしても、せいぜい同じ大学の先生か、研究者の人たちがいいところだった。
そのわたしが、相手をきめないで誰にでもわかるように書く。
そんなことができるのか、はじめはさっぱりわからなかった。とりあえず自分がなにをしたのか、なにをこれからするのかを並べてみることにした。仕事の記録になると便利だと思って、業務日誌ということにしてそれを毎日くりかえしてみた。だがそのような個人的な記録が誰かの役に立つかはさっぱり。
そんな状態からはじめたわたしは、なんだかんだ言いながら1年近く、一応誰にでもわかるように、と思って書いてきた。ときどき反応を返してくれるひとが来て、ときどき大きな反響もあった。そんな1年。ありがたいことだと思って、つづけていこうと思った。
だが「日本語が亡びるとき」を読んで、自分でやってきたことが、やけに小っちゃなことに思えてきた。というのは、誰にでもわかるように書くといっても、日本語で書いている。すでに限られた人にしか語りかけていない、内向きなのだと気づいたのだ。
ところが「日本語が亡びるとき」で登場する著者の水村美苗さんは、海外のいろいろな場所で英語やらフランス語で話している。それもパリで開かれたシンポジウムで、日本近代文学についてかなり長い講演をフランス語でしている。
すごいことだと思った。誰にでもわかるように話す、というのはこのことだと思った。
だが、わたしが自分のやってきたことが内向きだと気づいた理由はもうひとつある。
それは水村美苗さんが、フランス語で講演したものを日本語に(おそらく自身で)翻訳してから「日本語が亡びるとき」のなかに収めているのを読んだからだ。
フランス語で話した講演が日本語に翻訳されたとたん、それは内向きのものになってしまう。
当たり前の話だけれど、フランス語での講演を日本語に翻訳するということは、想定する読者が「フランス語は読めないけれど、日本語は読める人」ということになる。ふつうに考えれば日本人に向けたものだ。これだけ聞けばどうってことはない。だが気をつけて考えてみると、「フランス語はある程度読めるけれど、日本語はわからない人」という読者がそこから除外されていることに気づく。それで、この両者を天秤にかけてみれば、後ろの人のほうが数が多い。可能性だけは多くいるはずの読者を除外して日本語に翻訳したものを載せたのは、なぜだろうか。「日本語が亡びるとき」という題目に関心をもつ人たちは、やはり日本人である可能性が高いからだろう。だとして、その日本語を守る人たちはどこにいるのだろうか。結局はいま日本語で読み、書いている人たちだろう。おそらく水村さんがいちばん大事にしている読者はここにある。
そのなかで、多くの人が日本語で書かれたものに興味をもって、過去に書かれた文学作品なども守ることに貢献できるだろうか。なにか水村さんの論考のなかには重い使命のような、重要文化財を管理している人のような、あるいは大事な赤ちゃんを抱いて歩いている母親のような、侵してはならない厳粛さがあるように思った。
ふとそのとき、自分も他人事ではないような気持ちが、急激に押し寄せてきた。
なんだろう、この気持ちは。
自分も翻訳をやって、日本語で書いて、それが多くの人に読まれることによって何かが生まれて、広がっていくことを望んできたけれど、その気持ち自体が「侵してはならない厳粛さ」に包まれてしまったのだと気づいた。
そうか、ここで語られている「日本語」は、括弧のついた日本語なんだ、と思った。括弧のついた日本語だから、特別な人が読む、特別なことを話すための日本語なんだ。だから厳粛なんだ、括弧がついているかぎり、そこに誰かが踏み込んでひと言付け加えることは、困難なんだ。
実際、水村さんの論考は、驚くほど文学の研究者のルールを忠実に守って書かれている。
語り口の厳粛さは、20世紀はじめのイギリスの評論家のような気がした。そこで紹介されているなんでもござれな題材大盛り山盛りは、アメリカに移住してきた最新鋭の評論家のような気がした。
なんだかこうやって書いていること自体、水村さんの真似をしているような感覚になってくる。そういうつもりじゃないんだけれどな。
でもそう思うってことは、なにかのヒントじゃなかろうか。
(つづく)