「日本語が亡びるとき」を読んで(8)

吉田健一の評論に「文学が文学でなくなる時」というものがある。
いや、「日本語が亡びるとき」をはじめて目にしたとき、なんだか見覚えのある題名だなと思ったのだ。それがしばらくたってからよくよく考えてみたら、うーむこれじゃないかなと思えてきた。たぶんこれであろう、とあたりをつけてみたのだ。邪推と言われそうだけれど。
「文学が文学でなくなる時」とはなにか。要は文学を「真面目に」人に教えるようになったとき、それが「文学が文学でなくなる時」だというのが吉田の意図だったと覚えている。
(わたしの偏見が入った)説明をすると、じっさい英国で文学科が大学に置かれたのは19世紀になってからで、そもそも文学という呼び方じたい、あとから付けてみたものだった。というか、日本では「昔は文学のことをただ文と言った」と吉田は言う。英国で文にあたるものはそれまで「クラシックス」などと呼ばれ、英国の寄宿学校や大学で、男子学生にラテン語で書かれたものを音読で読ませるのがひとつのやり方として数百年つづいていた。その流れをあとから文学と呼んでみても始めはあまり信用されず、教師たちがどうにかして権威を与えようとあれこれ手を打った。いわく文学とは学問であり、科学の一部で、それによって暮らしを向上させることもできると呼びかけた。そのおかげか文学という呼び方は20世紀半ばにしてなんとか根づいた。だが、文学はそれまでの男子学生だけでなく、手を広げて女子学生や一般読者にまで呼びかけたので、話がはじめとは違ってしまった。どういうことかというと、「クラシックス」の場合はラテン語という、ふだんはそれを使って会話などはしない言語で、歌をうたうことのような技能として身につけるものだったのが、英語というふだんそれを使って会話をする言語で、それを使って人生を考えるようになった結果、文学は真面目な議論を、とくに技能なしに誰でもできる道具となってしまった。新聞や雑誌で書評というスタイルが人気を集めて、「タイムズ」の書評欄は別紙の付録になるほどだった。ヴァージニア・ウルフとアーノルド・ベネットが文学とはなにか、論争を繰り広げたのもこの付録がきっかけだった。誰でも読めることばで、階級や性別にかかわりなく真面目な顔をして人前に出てああだこうだと自説を展開できた。ラテン語が読めなくても参加できた。参加する人が増えると、議論はあちこちに逸れ、題材もあちこちから引っ張りだされて、なんの話だったかわからなくなるほどであった。そうなってくると困るのは教師のほうで、自分の説にどうやって権威を与えるかということに向かってしまう。音読の技能を身につける実技であったクラシックスから、人生を語るための文学に関心が移り変わり、自分の語りが正しいことを示すために科学が駆り出され、そこで文学は陳腐化した。それが文学が文学でなくなる時。
そんな具合かな。専門家ではないので、やくざな説明で申し訳ない。
真面目にやっては文学が文学でなくなる。
それと並ぶようなことを、水村美苗という小説家は「日本語が亡びるとき」にこめたのではないか。それが今回の話。
言い換えると、「日本語が亡びるとき」という題名じたい、本気と冗談の境目をかなり微妙な釣り合いで狙ったものだと思う。いや、題名だけ見れば冗談まじりなどとはとうてい思えない、よくもここまで頃合いをはかって出してきたなあと、つくづくうならされる。だがよくよく読み進めてみれば、どうも話がなかなかはじまらない。本気で「日本語が亡びるとき」会議の会場をここに提供しようとするならば、まず読み出しから狂言回しのお婆さんが出てきても不思議はないのだが。やれ「本書はかくかくなる問題にしかじかなる題材を提供するためのものである」だとか、やれ「これまでの当該問題には以下のような先行研究があり、そこに自説を加える意図である」だとか、読者も巻き込んで本気で論じさせようというのなら、当然やってもよさそうなものが、いっさい見当たらない。読者はいきなり首をつかまれて、アイオワ寒い朝に連れていかれる。水村が参加した、とある作家交流プログラムの会場となったアイオワの小さな大学である。そこに連れていかれて、世界中あちこちの言語でものを書いて生活している、作家という変わり者たちのなかに、ひょいと投げ込まれる。評論というよりも、小説といったほうがよさそうな読み出し。
仕方がないのでさらに読み進めると、水村の語りのおもしろさにずるずると引き込まれ、そのまま最後には奇妙な事件でも起きて、犯人探しでもはじまるのではないかと思えるほど。そのくらい、出てくる人物ひとりひとりが丹念に描かれている。この人物はあとで実は重要な役割を果たすのではないか、見逃したらいけないのではないか、などと気をつけながら読み進めることになる。
だが話はなかなか見えてこない。いろいろな作家が、いろいろな言語で書いている。自分は日本語で書いている。それぞれの人物がそれぞれの悩みを抱えて、ひと月ばかりの滞在をなにかのきっかけにしようと奮闘している。だがあまりにも話が細かく、しかも滑稽な人物が多いものだから、そもそも題名はなんだったっけと忘れそうになる。しまいには「日本語もがんばらなくっちゃ!だって、みんな苦しいなかでがんばっているんだもの」みたいなありがちな陳腐な結論になるのではないかと、よけいな心配もふとよぎった。
ところが、だんだん読んでいるうちに「なにかに似ているな」とか、「あれこの言い回し、どこかで聞いたような」といった具合になんだかひっかかるところが出てくるのだ。とにかくどんどん出てくることばのなかで、あれ? あれ? という場面が積み重なる。それに、いろいろな作家のいろいろな小説、評論、名作がこれでもかこれでもかと出てくる。しかも場違いではなくて、しっかりと水村の語りの流れによどみなく合流し、ともに流れ、やがて散らばっていくという具合に、とにかく流れつづける。はじめはひっかかるが、なんどもそれが繰り返すうちに「そういうものなんだ」とこちらのほうでも納得して、勝手にわかったようなつもりで先に進むことができる。なぜだろう、この小説だか評論だかわからない読み物が自分をひきつけて、世界にひきずり込んで、ずるずると先に引っ張られるのは。なんだろう、この気持ち。
この水村の語りとでも呼ぶべきものは、読み手をほとんど飽きさせない、巧妙なしかけがあるような気がした。
たぶん、種本がたくさんあるんだろうな。
これが、わたしの考えたひとつの仮説だった。この本は「日本語が亡びるとき」という1冊の本だけれど、ページの裏にはもう1冊ぶんくらい、書かれているんじゃないか。いや、もう1冊どころか、何百冊も小さな字で裏に書かれていたとしても、わたしは驚かない。そのくらい、どこかで見たような風景や、どこかで聞いたような歌声がこめられているのだ。もちろん、これはことばのあやで、ページの裏に読まれもしない文字がごていねいに印刷されているなど、現代の産業ではありえないだろう。しかし、心情としてはそうだったらおもしろい。水村自身による種明かしなんかがあったりして。エリオットは「荒地」に自分で注を付け出したら、本文よりそちらのほうがおもしろくなったという変な詩人だったが、水村もそうなのではないか、じつは見えないところに注釈ができあがっているのではないか。そんな気もした。
だが冷静にみれば、この評論/小説は、はじめからさいごまで読み通すのが容易な、イージーリーディングとでも言えそうな読み物だ。とくに誰が読んでも問題なく読み終えることができると思う。だが謎がじつはたくさん隠れていて、謎解きをはじめたら病み付きになりそうな、そんな本ではないかとわたしはこっそり思っている。
というか、ひょっとしてこれは壮大な「ドッキリ」なんじゃないか、壮大な狂言ではないか、編集者も出し抜くくらいの怪物ではないか、そんな気がした。少なくとも「日本語が亡びるとき」という題名についていえば、本気と冗談は紙一重、釣りなんじゃないか、と思える。「文学が文学でなくなる時」で吉田が真面目にやったら文学が文学でなくなると述べたのと同じように、「日本語が亡びる」と真面目に日本語で呼びかけたら、亡びるに亡びきれないのではないか。というか、この題名は考えれば考えるほど意味がとりにくい。なぜこの題名でなければいけなかったのか。内容を考えればもうすこし穏当な題名もありそうなのに。ひとつわたしが思うのは、むしろ意図して矛盾を内包させることで、本気ともナンセンスともとれる、言ってみれば翻訳不可能な題名を狙ったのではないか。
たとえば。いまや亡き日本語文学の金字塔、「日本語が亡びるとき」、ここに復刊! みたいな。
そんな広告ありえないでしょ、というような広告すら出せそうな題名。というかすでにパロディが次々に出ているのをこのあたりでも見かける。とにかく題名がすごいのが水村美苗という小説家なのかもしれない。旧字体の題名「続明暗」とか、「私小説」とか、「本格小説」とか、水村美苗の作品を見ればどれも、本気と冗談は紙一重な題名ばかりで、悪ふざけから日本語文学の金字塔となった『吾輩は猫である』みたいな、破壊的な題名だ。
ついでに言うと、夏目漱石のことを語るとき、水村の語りはいちだんの熱を帯びてくる。漱石も書き上げられなかった『明暗』の続編を漱石に無断で書いてしまうあたり、漱石への思いが相当なものであることは想像できる。だけれど、漱石になりたいくらいの強いあこがれがある一方で、漱石にだけはなりたくないという強い拒絶も水村自身にあるのではないか、そんな気がする。強い思い入れというのは多くの場合、近づきたいという思いと近づきたくないという思いが入り交じっているのではないか。
日本語が亡びるとき」という題名には、もちろん日本語が亡びる前に不朽の名作を残そうという意思が現れていると思う。だがそれと同じくらい、漱石のような奇跡の国民作家がこの先登場することはないだろう、そこには自分も含まれる。というような思いが水村自身にあったのではないか。わたしは思うのだが、水村は日本語が亡びようと、亡びまいと自分のもの書きには変わるところはない、と思っているのではないか。要はそれに抵抗すること自体に意味があり、それが実現するかどうかは自分の問題ではない。それはエリオットが「荒地」で語ったことのエコーかもしれない、と思う。エリオットは初めての世界大戦を経験してしまった。そこから出てきたことば、「こういう断片でわたしは、自分の崩壊を支えている」と。世界は戦争で荒地になってしまった。どうにもならない。そこから出てきたことばを集めた「荒地」は不朽の名作となった。だがそれは、それを読んだ人が選んだことだ。作者にできることは、とにかく書くことしかなかった。
日本語が亡びるとき』のしめくくりは、こう閉じられる。

それでも、もし、日本語が「亡びる」運命にあるとすれば、私たちにできることは、その過程を正視することしかない。
自分が死にゆくのを正視できるのが、人間の精神の証しであるように。

自分の崩壊を正視し、それによって精神が生きているのをたしかめる。そのあとは神という方向もあるが、もうひとつある。ナンセンスだ。
自分の住む世界が足下から崩れるのを直視する。そこからナンセンスが生まれるというのは、エリオットが晩年に残した『キャッツ』を読んでも、そう思われるのだ。
(つづく)