「日本語が亡びるとき」を読んで(9)

日本語が亡びるとき』という題名について云々論じたけれど、ここで解題が求められているのかどうか自分でもよくわからない。次になにを話したらいいかしばらく考えてみたけれど、あんまり突っ込んだ話はしないほうがよさそうな気がした。というわけで話をずらしてみる。
吉田健一、エリオットと、わたしが思いついた作家たちはふたりとも、フランス語の詩にかなり深く入れこんでいた。水村が18世紀、19世紀、20世紀にわたって世界でもっとも尊敬されていた<国語>は英語ではなくフランス語だと述べている(2章の冒頭)。それはたしかにその通りかもしれなくて、その頃の哲学者にしろ、詩人にしろ、フランス語で活動して大きな仕事をした巨人は20世紀の終わりまでずっと、避けて通れない門だった。それはもう、わたしが説明しなくても言い尽くされていると思う。
その水村がパリでの国際学会に呼ばれて人前で話した、そのフランス語での講演を自分の手で翻訳して『日本語が亡びるとき』に収めている。そのなかで水村がフランス語圏の人たちに向かって自分を語ったのは、自分がいま書いている小説はわざと英語にだけは翻訳できないように細工をしたという話だった。つまり、日本語と英語の表記を並列させた『私小説 from left to right』という二重言語の小説で、英語の部分はもとから英語なのでどうしても翻訳はできない。無理にそうすると日本語と書き分けた意図が消えてしまう。それはフランス語にも、ほかの言語にも翻訳できるけれど、英語にだけは翻訳できない。そういう話。
水村美苗という小説家は、そのくらいつとめて英語と距離をとってきた小説家だということがわかった。この話が出るのがここが最初だったのかもしれない。
水村がフランス文学についてどれだけ書いているのかはよく知らない。だがひとつはっきりしているのは水村は日本語、英語、フランス語の多重言語者であることから出発していることで、それはこの『日本語が亡びるとき』にも、ほとんど忘れられることなくくり返される。
わたしが(勝手に)想起した吉田健一は、日本語、英語、フランス語の多重言語者である点で水村とほぼ一致する。それも幼少期に自分の意思とは関係なしに連れて行かれた先でそれを強いられ、それが独り立ちしたあとの文学活動にもそのまま受け継がれているという点でも一致する。
それからエリオットは、英語、フランス語の二重言語者であった。だがエリオットがほかの二重言語者とちがっているのは、英語は英語でもふたつ、アメリカ中部の英語と、英国都市部の英語を両方経験したことだ。ということはより正確に言った場合、エリオットは米語、英語、フランス語の多重言語者であった。
あんまり説明が長くなると話が散らばるのでひとつ飛躍すると、水村はフランス文学で修士となり、そのときの師匠がポール・ド・マンであったという。評論のなかであってもひとつの主義主張を押し通すのではなく、むしろその言い回しを遊ばせておくというのは、フランス語での哲学者のしるしというか、なぜだかよく知らないけれど、そうやってフランス語の哲学者は若年から老年にわたる長い学者人生を、学問の流派の変化に適応させてきた。ド・マンもそのひとりと考えていいと思う。その水村が、ごりごりとアメリカ式のシーシス・ステートメントで始めないということは、やはりフランス語の哲学者を汲んでいるのではないかとわたしには思えてしまった。
そういうわけで、壮大なドッキリではないか、壮大な狂言ではないかという気がしたのだ。もちろんこれは、『日本語が亡びるとき』がどう読まれ、どう言い伝えられていくかにかかっている。答えが出るのはこれからだ。だから、わたしの言ったことはひとつの仮説にすぎなくて、ほかの仮説を否定するものではない。
ただひとつパリでの講演から、わたしが引っかかった部分を引用しておこう。

だって、想像してみてください。これから百年先、二百年先、三百年先、もっとも教養がある人たちだけでなく、もっとも明晰な頭脳をもった人たち、もっとも深い精神をもった人たち、もっとも繊細な心をもった人たちが、英語だけでしか表現をしなくなったときのことを。ほかの言葉がすべて堕落した言葉ーー知性を欠いた、愚かな言葉になってしまったときのことを。想像してみてください。一つの「ロゴス=言葉=論理」が暴政をふるう世界を。なんというまがまがしい世界か。

この「ロゴス=言葉=論理」にちょうど対になっているのが、フランス語哲学でいう「シニフィアンの無限の戯れ」であり、言い回しを遊ばせておくということにあたる。くわしい話はここではしない。時間のある人は「ディコンストラクション」「脱構築」などで検索していただければと思う。
このように、水村の論考のあちこちにはフランス語でものを考える人に共通する精神の動きが見られ、それがどうにもわたしには、吉田健一やエリオットの存在を思い起こさずにはいられなかった。「日本語が亡びるとき」という題名にも、すんなり飲み込めない、意味のとりづらさを感じてしまった。吉田の「文学が文学でなくなる時」やエリオットの「荒地」を想起したのは、題名はその結論を示唆するものではなく最後のページにむかってまっすぐ進んで行くための目じるしでもないという考えからではないかと思う。すくなくともわたしは水村美苗という小説家が題名をそのように使うような小説家ではないと思った。
で、題名の話はとりあえずこれで打ち切る。
それよりもわたしにとって興味深いことがあって、それは『日本語が亡びるとき』の後半が一貫して翻訳という作業を軸にして進められていることだ。
ちょっとこれは考えがまとまるまで時間がかかるかもしれないが、この先まで話をつづけていきたい。