秋葉原、ソフト、上客

少しわかりにくい話を承知で。
昨日は秋葉原に出かけた。とくに気になる動きは見られなかったが、ふと思ったことがあった。というのは、わたしが秋葉原と呼ぶとき思い浮かべる対象は、ごく一部の秋葉原にすぎないのだといまさらながら思った。わたしが想像していたよりも秋葉原(あるいはアキバ)という名前から受ける印象というのはいろいろな種類があるということに気づいた。たとえばソフマップというのは中古コンピュータ販売店だと思っていたが、それよりもソフトの流通でかなりの部分が成り立っているようなのだ。これがアキバ系と呼ばれる一連のアニメ(およびゲーム)ソフトを取り扱うことで多くの利益を上げていたのだということに気づいて、なるほどそれで自分のように中古コンピュータ部品のためにひたすら通っていると自分が上客として大事にされているように感じるのだとわかった。店からすれば客を大事にするということで何かが得られる。多くの客が、コンピュータを組み立てたあとにその使い途としてソフトを買っていくからソフマップが利益を出せるのだろう。わたしのようにソフトには振りむきもせずひたすらにコンピュータを組み立てることにしか興味がない人は(利益流通量から見れば)少数派なのだとわかった。アキバというのはどちらといえば「OTAKU」文化の場所だったらしい。たぶん、わたしはそこに含まれていない。そういう意味では秋葉原を歩く多くの外国人よりも景色に溶け込んでいない存在だ。外国人は成田から「Wasshoi!」バスに乗って集団でやってきて、それなりに想定された場所で想定されたものを買っていく。わたしはアキバからどう見られているのか。ある種のターゲティングはされているのだと思う。「コンピュータ自作→アニメ(ゲーム)ソフト→新しいコンピュータ自作」という具合に。だがわたしはそれを巧みにかわして「すり抜けて」いるようだ。自分ではよくわかっていないのだろう。だが継続的にそれを達成するのはどちらかといえば例外なのかもしれないと思った。それが例外で簡単に達成できないことだとしたら、そこで考えることは、自製サーバを調達する方法として、デルやhpのターゲティングに収まってしまうか、それとも例外的な存在として「すり抜け」つづけるのか、どちらが賢いだろうかという問い。特定の店の上客になることは想定していない。それは特定の意味で「一丁あがり」だからだ。わたしがやってきたことが「すり抜け」つづけることだから、それをやれば終わりだというのは自覚している。だが先が見えるかといえばそうでもない。ひとつの転機があるとしたらこのあたりかもしれない、という気もする。