『ウェブ進化論』から『シリコンバレー精神』に飛んでぼくが見つけたもの

ここ半年くらい、いや11か月くらい毎日読んでいた本がある。『ウェブ進化論』だ。
毎日読んでいた、といっても日々ふつうに暮らしていると読書のための時間は限られる。第一優先とはいかない。だけれど、この11か月のあいだ読書のための時間のなかで『ウェブ進化論』は間違いなく第一優先だった。ぼくは外に出かけるとき必ず本を何冊かかばんに入れて歩く。そのなかに『ウェブ進化論』が入っていなかった日はない。ただそれだけのことでも、けっこうつづけることはできる。家に帰ってくるといったん取り出して布団のなかで読んだりするから、次の日出かけるときにかばんに入れなおすのだが、それさえ忘れなければつづけることはできる。何かの儀式のように、ぼくはどこへでもこの本を連れて行った。理由? わからない。たぶん、何か意味があるだろうと思ったからだろう。
そう、今日ふと思いついて書店で『シリコンバレー精神』を買ってきた。まだ読んでいないということに気がついたのだ。いや、正確に言えば知っていたはずなのだが、忘れていた。考えてみれば『ウェブ進化論』には『シリコンバレー精神』という言葉は出てこない。毎日『ウェブ進化論』ばかり読み返していたのに、『シリコンバレー精神』が忘れられていた理由はただひとつ。そのタイトルが『ウェブ進化論』よりも遅れてきたからだ。奥付を見て「ああ、そうだったんだ。そりゃそうだよな」とひとりで納得してしまった。
読書というのは不思議だなと思った。『ウェブ進化論』を自分よりたくさん読み返した人はそう多くはいないだろうと思っていたのだけれど、『シリコンバレー精神』のことはすっかり忘れていたのだから。井の中の蛙とはこのことか。恥ずかしい。穴があったら入りたい、と言ったらまた井の中の蛙だから入らないでおく。
という与太話から始まって、少し思うところを書いておこうと思う。
ぼくが『ウェブ進化論』を11か月読みつづけたことによって何を得たか。たぶん、感想を書く時間があったら行動したい、でなければもう一度読み返したい、という動機づけだ。いろいろ考えてみたが、これしかない。
ぼくにとっての行動とは、合同会社を作ったことだ。そこでやってきたことはだいたいブログに書いてきた。ブログを書くことが仕事? 仕事の中身はブログに書いている? それだけ? うん、たぶん瑣末なこと以外はだいたい書いているので、これが現状かなと思う。それでこれからどうする? うん、ぼくはここでいろいろなことを学んだから、それをカタチにしてみたい。とくに、ここに読みに来てくれた人の存在を見えるカタチにしたいなと思う。ぼくは人との大事なつながりを見つけることはけっこう恵まれてきた。だがこれを組織化することはべつの話だということにいまさら気づいた。
そう、ぼくが合同会社を作ったのは、たぶん人との大事なつながりを組織化するためだ。その第一段階として、ブログを書いた。次は何か。そろそろ決めるときが来ている。いろいろと「こうなったらいいな」と思うことはある。その一部は書いてきたが、書いていないことのほうが多いことに気づいた。これはいけない、いまからでも少しずつ書いてみようと思って、さっきまでいろいろ考えていた。そしてそこにある本を手に取ったとき、何かがはっきり見えたような気がした。
自分はまだ日本語以外ででひとことも言葉を発していない。
シリコンバレー精神』を読むと飛び込んでくるのが、梅田さんがそこで出会った人たちとの会話だ。それは日本語になって書かれている。だがそこで交わされた会話の多くは英語だろう。そう、『ウェブ進化論』を何度も読み返して、その後の梅田さんの著書が出るたびに追加されていくブログ上の感想をたどっていくにしたがって、なんだか無力感が増していくのはなぜだろうと思っていたのだが、答えがはっきりわかった。
そう、日本語でしか世界構築がされていない。
シリコンバレー精神』に描かれている生き生きとした会話を見て、これだと思った。これが足りなかったのだ。そう、何よりも自分に問題がある。梅田さんの語る世界観がすべて日本語で読めることに安住して、その読者を自認する自分はまさに、井の中の蛙だったのだ。自分がほんとうにばかだと思った。
さて。これからどうしようか。
ぼくが英語で語り始めてみたら、どうなるか。たぶん、半分も伝わらないだろう。でも日本語が読める人にしか伝わらなかったものが、英語が読める人に伝わるチャンスになる。なんとか半分くらい英語で書くことはできないだろうかと考えてみる。自分で書いた日本語を英語に翻訳して併記するとか。なんとなく気が進まない。でもはてなは基本的に日本語でページが構成されている。本文が英語入りでも、上のヘッダは日本語なんだよな。なんとかうまくやる方法はないかしら。
まず、紹介した英語のブログ記者に、英語でトラックバックでも送るか。Larry Dignanさん、読んでくれるかな。
ちょっと落ち着いて、『ウェブ時代 5つの定理』をめくってみる。そうそう、こういう箇所があったっけ。

この「匿名性の方向に偏った」日本語圏ネット空間に特有の文化が、ネットの持つ豊饒な可能性を限定し、さまざまな「良きもの」が英語圏ネット空間では開花しても日本語圏では開花しないのではないかと、最近はそんな危惧を、強く抱いています。(223)