合同会社設立228日目、朝

港区は晴れ。ひさしぶりの明るい朝。
ブログに自分の体調を書くことについて、すこし考えていた。
わたしは身体あってのもの種だと考えているので、体調にあわせてその日の行動を加減している。それが賛成してもらえるものかはわからない。生活習慣が身体をつくるという考え方を小学校や中学校のときに教わったが、わたしにはそれが逆のように思えていた。身体がなければ生活習慣はつくれない。身体はそのくらい獲得のむつかしいものだ。というのがわたしの出した答えだった。まずは自分の身体を自分でつくる場所を確保する。それがいちばん大事なことで、人に役立つ仕事ができるかは次の話だ。
こんど出た対談の本で、齋藤孝先生が人が集まって四股を踏むことの効能を説いていた。これにはなるほどと思わされた。というのは、彼がめざしているものがようやく見えてきたような気がした。そうか、彼は四股を踏ませることで、床を思いきり揺らしたいのだな。その揺れをもっとおおきくしたいのだな、とわかったような気がした。
彼のこれまでの著書を書店で見かけるたびに、これは自分にはかかわりのない話だなと見ていた。すくなくとも、新書では彼のもっている底知れない深みをともなった思いこみの強さは伝わってこないと思った。この思いの強さは実際に彼のいるところに居合わせれば、その一部をおすそわけしてもらえるのだろう。彼は教育者としてわたしより若いひとから支持されているようだ。彼がニーチェを爆笑しながら読むというのは、じつに腑に落ちる話だった。
だが問題はこの先にある。わたしは自分で四股を踏むことはできるが、多くの人と歩調をあわせて四股を踏むことはできない。それがいちばんの問題で、これについて考えだすと、きりがない。ほとんどあきらめていたようなことだから、それを蒸し返されると、非常に心苦しい、息の詰まるような思いがする。外野からなら齋藤先生のやりかたを支持したい。だが外野も四股を踏めと言われたら話が違う。わたしはそういう身体のつかいかたには、向いていない。
そのことを自分なりに決めて、自分なりに守っていることで、わたしはそれなりに安定した成果を出せるのではないかと思う。それはやはり、変えてはいけないことのように思われる。身体が弱いほうだとは思わないが、強いほうでもない。そのことを自覚したうえで、行動規範をこまかく決めていけば、働きすぎて身体をこわしたという人よりは、まともな仕事を残していけるのではないか。
そこで思い当たることがある。村上春樹さんがこのように言っている。健康が才能を呼びこむことはあっても、才能が健康を呼びこむことはない。この春樹さんの考えをわたしはそのまま自分の行動規範にしたいと思った。