梅田望夫さんとまつもとゆきひろさんの対談を読んで。

ひとつ気づいたことがあって、わたしはまつもとゆきひろさんの考え方が好きだということ。
これはいくつか理由があげられると思った。

  • 自分が住みたい場所に住んでいる。
  • 「朝から晩まで好きなことをつづけて、ごはんが食べられる」ことが幸せと自覚している。
  • 自分の居場所を自分でつくってそこを守っている。
  • 影響力の強いひとから誘われても色気をださない。

この対談は2度にわたっておこなわれたようで、はじめの対談は日経BPの高橋信頼さんが司会をしたというあたりが要所だと梅田さんがブログで書いていた。要するに、梅田さんが高橋さんを指名してこの仕事ははじまった。その若い編集者の目のなかに光るものを感じて梅田さんがまつもとさんとの対談に踏み切ったという前提は、この対談を明るいものにしているように思えた。つまり若い人がまつもとゆきひろさんというロールモデルからなにを学ぶことができるか、という問いかけを梅田さんはしつこく追究している。そしてそれに対するまつもとさんの答えがなんども心に響いた。
対談の前半でさっそく梅田さんが問題提起をしているのは、「オープンソースで飯を食う」というまつもとさんのことばについて。基本的に非営利な世界で、じゅうぶんな生活の糧を得るということが過去になかった生き方だと梅田さんは指摘する。それに応えてまつもとさんが言うのは、

目指したわけじゃないんですけど,結果的にロールモデルのようになってしまって。若い人がオープンソースで飯を食う,というと僕のことを思い浮かべるみたいで。それに恥じないようにしなくちゃいけないな,というか,オープンソース・ソフトウエアを書いて生きていけるということを身を持って示そうと思います (笑)。

という短い、誰にでもわかるかんたんなことばだ。
このようなやりとりは、対談のなかでくりかえされる。つまり、梅田さんがまつもとさんの「本音」をひきだそうとする試みが、数回にわたってくりかえされる。ことばの裏にあるなにか、そこにロールモデルのヒントが見つかるのではないかという梅田さんの試みはまつもとさんの心にたしかに響いているようだ。すなわち、大半は好意をもっていることを示す一方で、山椒をふりかけるようにピリリと辛口な追究をする。そこから読者が会話に割り込むことができるように。
早い話が、このやりとりのようなものだ。

梅田 まつもとさんにとっての「幸せ」って何ですか。
まつもと ご飯が食べられる範囲で,好きなことを日がな一日やっていられれば幸せですね(笑)。
梅田 「ご飯が食べられる」の定義もいろいろありますよね。今日飯を食えればいいとか,蓄えがないといけないとか。
まつもと 蓄えはあったほうがいいですね。生活に不安がない程度に。
梅田 若い人たちと話すと,こんな豊かな国で,不安だ不安だというんですよね。「生活に不安がない」と言うときの定義もいろいろで,一生食っていけるだけの蓄えがないと不安だとか,未来もずっと見通せてないと不安だとか贅沢なことを言い続けるのであれば,永遠に幸福は訪れない。
まつもとさんがおっしゃる「不安がない」というのは。
まつもと 僕が事故で入院しても,とうぶんは子供が「おなかすいたよお」って泣かないですむことですね。数カ月分の貯金があれば。

まつもとさんが金銭的な動機を低く見積もっている部分に、梅田さんは切り込もうとする。金銭を求めないのなら、なにを求めるのか、なにが彼を駆りたてるのかという問いかけだ。自分のアイデンティティにも深くかかわる「幸せ」とはなにか、「不安がない」とはなにか。その問いかけを中盤で梅田さんは持ちこむ。
これは、ある意味では危険なことだ。おそらくは何度も会っているわけではない梅田さんとまつもとさんの関係が、深く踏み込んだ関係に発展するか、表面をなぞるお世辞のやりとりに終わるかの分け目とも言えるだろう。ここに果敢に踏み込んだ梅田さんの勇気に、まつもとさんは笑顔で、それでいて逃げずに応える。ふたりとも、そのやりとりが若い人に投げかける影響に自覚的だろう、おそらく。
まつもとゆきひろのようになりたい。そういう人は数多くいるだろう。そのことを自覚したうえで、「ご飯が食べられる範囲」「生活に不安がない」「子供が『おなかすいたよお』って泣かないですむ」という具体的な境界線を引く。まつもとさんは、それ以上を求めないという境界線も、ここで引いているようだ。

まつもと プロ野球選手は枠がありますから,日本全国で何百人しかいませんよね。それに比べてオープンソースで飯を食うのには枠がない。

つまり、プロ野球選手は枠があるというのは、梅田さんの言うところの「高く険しい道」に当てはまる一方、オープンソースで飯を食うことは「けものみち」に当てはまるかもしれない。そう仮定してみると、まつもとさんの言うことは、オープンソースでやることは「高く険しい道」によるおおきな成功をとらない覚悟を決める、ということになるのではないか。彼がリーナス・トーヴァルズの話を引きあいに出して「この家に住めればいいよ」というトーヴァルズを自分自身に重ねているように。
ところが梅田さんは引き下がらない。

梅田 でも実際にはオープンソースで飯を食ってる人は少ない?それとも多い?

ここまで踏み込めたのは、先にあげた危険な問いかけにまつもとさんが逃げずに応えたことの成果だろう。

まつもと オープンソースで飯を食っている人は,日本だけでも数百人単位でいると思います。
例えばミラクル・リナックス CTOの吉岡さんの部下として働いている方なんか全員そうですよね。広くとれば(関連記事,梅田氏と吉岡氏の対談レポート)。

と、まつもとさんは梅田さんのことを理解したうえで応えている。ここで注目したいのは例にあげた人物が吉岡さん、つまり梅田さんの高校時代からの親友である吉岡弘隆さんを話に持ちこんでいる点だ。ここに梅田=まつもと「簡単ではないけれど実現可能な夢」同盟がつながったとも言えるかもしれない。共通の友人が話に登場するというのは、対談ではとても大事なことのようにわたしには思われる。そして吉岡さんのブログの名前は「ユメのチカラ」である。
それから最後の話題のひとつに、言語の壁が出てくる。まつもとさんが英語で発信しなければRubyの成功はおぼつかなかったかもしれないと率直な感想をもらす。それに付け加えるかたちで、梅田さんがひとつの提案をする。

梅田 今,「英語が下手だと人に言うのをやめる運動」というのをやってるんです(笑)。僕,英語があんまり上手じゃないんですよ。時々バレることがあるんです,ものを書いたりしてるときに。英語の上手な日本人に,すごく厳しいことを言われることが多いんだな。英語ってすごくこだわりを持っている人がいて,間違いを指摘されるんですよね。
(.....)
あるとき「なんでおまえこんな間違った英語書いてるんだ」って日本人に言われたんだけど,それってアメリカで習った英語だったんですよ(笑)。
(.....)
ぜひこれは運動として「英語が下手だと人に言うのをやめる」ようにするべきです。英語がメインの仕事じゃないんだから。日本だと「つたない英語」とか,わざわざ言わなくちゃいけないわけだけど,そのつたない英語の奴らがおもいっきり仕事しているんだから,向こうでは。
(.....)
もちろん「英語勉強しろよ」っていうのはあります。あるんだけど一方で,「完璧でなかったらダメだなんて,大人が言うな」というのはすごく言いたい。

この提案に、まつもとさんは静かに応える。

まつもと 海外に出ないのはもったいないな,というのは思います。僕が英語で発信しなかったら今のRubyはないわけで,一歩前に踏み出すというのがすごく重要ですね。

そして梅田さんはここぞとばかりに自説を展開する。

梅田 アメリカ人って,他人の英語が間違ってても直さないですよね。僕はもっと上手になりたくて,メール受け取って英語に間違いがあったら指摘してくれといつも頼むんだけど,何も言ってこない。「下手だ」っていうと「いやいやそんなことはない,Excellentだ」って(笑)。

そのとき、なにかがはじけた。そう、司会であるところの高橋信頼さんの心に響いたのかもしれない。彼はこのやりとりを見守っていたようで、ふたりの先駆者のことばから、自分のことばを紡ぎだそうと必死に食らいついてきたのだ。

――僕も褒められて,それ以来,意思疎通ができるようになりました。全然うまくはならないけど(笑)。英語に対する恐怖感って,どこから来たんだろう,何が自分を縛り付けていたんだろうと思います。

梅田さんの戦っている相手はここではっきりしている。その怒りの爆発が、若い人の自問を呼びこんだのかもしれない。自分が戦おうとしていることを、梅田さんはいま戦っているのかもしれない、と。ならば、弱さをさらけ出してもいいのではないか、と。
そしてわたしは、高橋さんのひとことを受けた梅田さんの短いコメントに対し、ここで座っているだけでは変わらない、というメッセージを感じるのだった。

梅田 日本の「恥の文化」かもしれないね。

おそらく、それはかんたんに打ち負かすことのできるものではない。それを梅田さんは認めているのかもしれない。だが生き残るための方法を見つけて、この先の人生を生きることはできるはずだ、ということなのかもしれない。
梅田さんはひと呼吸おいたあと、まつもとさんにこうたずねる。

梅田 これからの抱負は。
まつもと 持続することですね。

この一問一答に、いちばん大事なものがつまっている。そして、それがいちばんの難題だということも、おそらく梅田さんとまつもとさんは共有した。だから、二回目の対談が実現したのかもしれない。