合同会社設立238日目、朝

港区は雨。昨日の夕方から降っている。サツキの花がきれいに咲いている。
日曜日。
今週はいろいろあって、業務日誌を書くことができなかった。単純にいえばスランプだったのかもしれない。ただ、それだけでは片づけられないような、見えない何かがあるような気がする。そういうのを書く場所として、ここの業務日誌が機能していればよかったのかもしれない。
ひとつだけ昨日わかったような気になった瞬間があった。晩ごはんを食べるときに、音楽をかけてみた。チャイコフスキーの6番目の交響曲を、カラヤンが振っているベルリン・フィルハーモニーの演奏だ。わたしはこれが好きで、前からよくひとりで聞いていて、だいたいの流れは身体で覚えている。それでこの演奏がピークを迎えるのは最後ではなく3番目の楽章で、ちょうど食べ終わるところでそのピークに来た。ふたりで聞いていて、いい演奏だなとうれしくなっていたところで、妻が思わず拍手をした。ああそうか、と気がついた。単純にみれば、3楽章が終わって拍手をしてしまう人はけっこういるかもしれない。演奏会ではそういうことはほとんど起こらない。だが家で聞くぶんには好きなときに拍手をすればいい。そう、好きなときに拍手をするというのは人間に固有の才能なのだと気づいた。これができるのは人間の特権で、それを使うにはただ身体を動かして手をたたくだけでできる。演奏会でそれができないのは、ほかの観客がいるからだが、これは演奏会にかぎったことではないなと思った。
ほとんどの時間をインターネットで過ごしていると、見えない向こう側にやはり同じような人の気配を感じるようになる。それがどうも演奏会のそれに似ているのではないかという気がした。それで、交響曲もブログも(たぶん)ひとりの人が書いて人前に出すことに決めたという意味では共通のことで、だいたいの場合、人間の身体のなかから出てきたことには変わりがない。けっこう恥ずかしいことも人前に出してしまうのが共通していて、そこに拍手をするのがためらわれることもあるかと思う。違うのは演奏会は拍手がかならず起きるけれど、ブログでは起こるとはかぎらない。その非対称的な関係がブログのよさかもしれない。そして同時にブログの物足りなさかもしれない。いずれにしても、ブログでできることは、まだ半分も検証されていないと、すこし客観的に思う。
昨日読んだ記事のなかに、興味深いブログに関する論考があった。なにかの参考になるかと思って、ここに載せておく。

  • Beyond Blogs (May 22, 2008, 5:00PM EST by Stephen Baker and Heather Green)

Could a blogging bubble burst? "That's easy," we wrote, answering our own question. "No." The logic was that blogging, a free form of publishing, was anything but a highly capitalized industry. Even blog technology companies such as Six Apart and Technorati were small fry, backed by just a sliver of the venture capital in Silicon Valley. How could an industry built largely on free labor and free software develop a bubble, much less burst? It can't.
But social media sure can.

There’s the Web, and there’s the blogosphere ― are they they same? What rights does the individual, the person, the blog entity have on the commercial Web? Does the offline me possess the same social powers online? I really don’t know.
What’s clear is that people like Mike Arrington, Marc Cantor, Steve Gillmor, Robert Scoble and Dave Winer (among many others) want as much freedom about what they do online as what Western Civilization has endowed on them and their ancestors offline. In some circles, and some of these people, want even more social power online than what has been the norm offline. More power to them.