合同会社設立253日目、朝

港区は曇天。どんよりと霧のようにかすんでいる。雨になりそう。
月曜日。
昨日はなんとなしに村上春樹の小説以外の書き物を読んでいた。日々暮らしているといろいろなことがあって、見えること見えないこと両方で落ち着かない気持になることがある。わたしはそういうとき村上さんの本を読む。昨日は小説ではないほうの書き物を読みたいと思った。それでだいぶ救われたような気持になった。
わたしが思うに、世の中で表面に見えるかたちで起きているできごとには、見えない根っこがある。それは避けられないことなので、見えないものを見えるようにするよりは、見えないままで土壌改良してゆくほうが話が早いと思っている。虫がたかっている木を片っ端から枝を切り落としたり、消毒剤を空から散らすのはその場限りのものだと思う。それもひとつの手ではあると思うけれど。
それで村上さんの本は根っこによく効く。小説は深い根っこに効くし、短い書き物は浅い根っこに効く。それを組み合わせてわたしは18歳のころからいままで、「こんなことで自分は、これからの人生を乗り越えていけるのだろうか」と悩みつづける20代をなんとか無事にすごしてきた。いまでも村上さんの本は座ったままで手の届くところに置いてある。
これはわたしの根っこに効くという話以上のものではなくて、それだけのことだが、インターネットでそれぞれの人が自分の読書の感想を書いて、それぞれに救われたとつぶやいているのは、そう悪くない世の中かなと思う。誰もそれを添削しないし、黒板消しで消せるようなものでもない。壁に落書きする必要もない。
村上さんはこのように語る。「でも大丈夫、それほど悩むことはない。歳をとれば、人間というものは一般的に、そんなにずたずたとは傷つかないようになるものなのだ。どうして歳をとると傷つく能力が落ちてくるのか、理由はよくわからない。またそれが僕自身にとって良いことなのか、良くないことなのかもわからない。しかしどっちが楽かと言えば、どう考えたって傷つくことが少ない方が楽である」

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (新潮文庫)

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