合同会社設立263日目、朝

港区はうす曇り。雨は降らないけれどなんとなく蒸し暑い。
木曜日。
もうそろそろ夏至かな。朝早く鳥がいっせいに声をたてはじめるのと、夕方なかなか暗くならないので、ふしぎな世界だなと思う。人によってはこの時期、体調の変化があるかもしれない。わたしは暑いのは平気だが、蒸し暑い湿気が苦手なようだ。そしてとにかく風の流れるところが好きらしい。そういった自分の体質のようなものは生まれつきなのか、育った環境の影響なのかわからない。鮭が生まれた川に自然と呼び戻されるように、人間もやはり自然と呼び戻されるものなのかもしれない。多くの人は自分で住むところを決めるというよりは、そのときの成り行きで住むところが決められている。だがこれが自分の体質の求める場所に自然と誘われていくようになれば、世の中も変わるかもしれない。それを支援するものとして、インターネットは機能するだろうかと考える。
クラウド・コンピューティングで、手元に設備がほとんどなくても知的生産ができる。鉄道で物流が代わり、生産設備の集中が起きたのとは逆に、都市に集中していた情報がほどけていって、適度にちらばっていく。携帯電話で高速インターネットが使えるようになれば、農業や林業沿岸漁業も情報が頻繁にやりとりされて、遠くに運んでいく必要がなくなるのではないか。地元のとれたての野菜や魚をごくふつうに市場に買いに出かけて、その日の朝ご飯にする。晩ご飯前にもういちど市場に出かける。その日の競りの予想価格はインターネットでわかるようになる。そんな日はいつか、やってくるだろうか。
知的生産を生業にする人は、自分の身体にいちばん合った場所に行って、そこで自由な暮らしをしながら、最上の体調で最上の知的生産をする。これはごく当たり前のことに思えるが、どうしてそれが実現できていないのかといえば、情報が集中しすぎている、生産設備が集中しすぎているのだろう。鉄道の普及は便利だが、ある意味で臨界点に達しているのではないかと思う。なにが正しいといったことは自分の出る幕ではない。しかし未来を切り開いていく手と足が自分に与えられているのなら、自分ならいま話したような切り開きかたをするだろうな、と思う。