合同会社設立270日目、朝

港区は雨。
木曜日。
2008年の6月はテクノロジ産業にとって大きな分かれ目になるのかもしれない。ビル・ゲイツマイクロソフトでの本職引退が金曜日に予定されている。ウィンドウズXPの販売は6月末で終了する。どちらもかなり前から予定されていたことが実行されるだけの話だが、その影響というか心的状況の変化は決定的だろう。わたしたちの心に住んでいたなにかがいなくなる。テクノロジのことを考える上で当たり前の前提になっていたようなことが、実はもろい土台にすぎなかったことに気づくときがくるのだろうか。インターネットでメールを送信する、大事な書類をメールに添付して送る、新聞のウェブサイトで社説を読む、などの作業をするにはまず、コンピュータの前に座ってウィンドウズの画面を呼び出すことから始まる。そういった前提が、もう当たり前ではなくなりつつある。若い人は携帯電話でそれをぜんぶ済ませることを考える。リテラシの高い低いにかかわらず、ある人は安い携帯電話、ある人は高い携帯電話で用事を済ませることを考える。すべてはポケットのなかに納まる。アメリカ以外の多くの国でiPhoneが発売されるのはゲイツが引退した直後の7月11日だ。そこに実益以上の期待を込めるのが間違っていると主張する人も多いだろう。しかしこれは昨日今日の話ではなく、ゲイツがウィンドウズ95を世界に問うたときにはじまった話であり、ジョブズがアップルを追い出されて孤独な戦いにおののいていたときにはじまった話だ。すぐにiPhoneが世界を支配するとは言っていない。だがテクノロジ産業のできごとをいちいち細かく、注意深く見れば大きな流れを見誤るということはない。つまりウィンドウズの時代が終わり、携帯電話の時代がはじまる。これはマイクロソフトがいちばんよくわかっているのではないか。
そしてわたし自身にも、これは他人事ではない。iPhoneが自分の生活に入ってくるとしたら、どういう位置づけになるのだろう。どこで使い、どのように使うのだろう。それをずっと考えている。そしてそれと同時に、ウィンドウズが当たり前でなくなってしまった世界でそれをどうするのか、ずっと考えている。もう4か月くらい、ずっと考えている。でも答えはまだ出ていない。もうすこし考えることになりそうだ。