合同会社設立272日目、朝

港区は曇天。
土曜日。
わけあって数日のあいだ、ウィンドウズで作業している。ちょうどゲイツの本職引退に重なっていて、めぐりあわせというのは不思議なものだなと思った。というのは、この4か月ほどアップルのつくったノートブックだけで作業してきたのがなにかの拍子で突然使えなくなったのが火曜日のことだった。あまりに突然で、空から降ってきたようなことだったし、困ったなと思ったときにそこにウィンドウズのパソコンがあった。なにしろ自分で選べない状況だったのでこれはなにか、ウィンドウズについて一筆したためよという思し召しなのかしらと思った。
わたしはウィンドウズとの出会いと義務教育からの解放が重なっていて、ウィンドウズ95を使うことにはとても大きな解放感があった。自分の生まれ育った地区の決められた学校に通ったあと、自分で選んだ学校に入って、家から遠かったけれど自分がそこに行くことでなんだか世界が救われたように感じていた。そのときわたしは15歳だった。
自分の生まれ育った場所と離れたどこかに、自分の行く場所がある。それはとても素敵なことだった。それと同じように、ウィンドウズを触ってあれこれ試してみること、インターネット(当時はパソコン通信と呼ばれていた)のあちら側に見えない誰かとの出会いがつぎつぎに起こることにわたしは感動した。それはいまから思えば、取るに足らないことだった。どう贔屓目に見ても、結局はただの通りすがりの会話にすぎないのだから。でもそのときはたしかに、ただの通りすがりの会話に夢中になった。
パソコンで文章を書くのは、ウィンドウズと出会う前からやっていた。文字だけで表示される、MS-DOSというシステムが入ったパソコンだ。日本人のつくった「一太郎」というすぐれた文書作成ソフトウェアがあって、それをやっていたので、マイクロソフト・ワードなるものにはまったく馴染めなかった。なによりescボタンを押してもあの見慣れたコマンドが出てこないのだ。Sなら保存、Pなら印刷といった具合にありとあらゆる操作がキーボードのショートカット(近道)で用が足りたのが、マウスを動かして上のほうにぎこちなく散らばったメニューのなかから選ぶことになった。これは最初は苦痛だったが、気がつけばわたしはマイクロソフト・ワードでかなりの長さの文章を定期的に書くことになった。それには2年くらいかかった。いちど馴れてしまえば、こちらのほうがよかった。
ウィンドウズ95のあとに98という新しいものが続いて出たことを知ったとき、わたしのパソコンはどうも時代遅れになっているらしいことに気づいた。そのときは、なんだかわけがわからなかった。よく知らずにインストールしてしまった98のせいで、マイクロソフト・ワードは頻繁にフリーズした。おかげでいくつもの文章が書きかけで消されることとなった。そのときはメモリを増設すればいいのだということは知らなかった。そしてそこで、わたしのウィンドウズに向けていた厚い信頼のようなものは同時に消されることになったのかもしれない。
その後わたしのウィンドウズ生活は転々をくりかえした。どういうわけかXPは出た直後から使っていたが、XPというのが新しいウィンドウズの名前だということも最初は知らず、1年くらい使ったあとで飽きてしまい、アップルのマックOSなるものに手を出してみた。そのときのワクワクする気持はなんだかウィンドウズ95を触ったときに似ていた。そして数年間はウィンドウズXPを毛嫌いして、自分の理想のシステムを求める旅に出た。そこでいろいろなものに出会ったことは、いまとなれば修行になったと思う。気がつけばほとんどのコンピュータの部品の扱いに、苦痛や不安を感じることはなくなっていた。
そして2007年、わたしはウィンドウズ・ビスタを手に取った。ごく控えめに言って、これはよくできたウィンドウズだと思った。周りの人があれこれ書いているのは知っていたが、自分には関係のない話だと思っていた。周辺機器との相性などはわたしには大した問題ではなくて、たいていのことはインターネット越しに済ませることができていた(わたしは自分の学位請求論文すら、無料のヤフー・メールに保存していた)。ただインターネット接続のできるパソコンが使い勝手よくそこに待機していてくれればわたしは満足だった。だから新しいウィンドウズであることは好ましいことだった。道具というのは新しく改良していくのが領分だと思っていて、その結果に不満であってもそれは不満を解消するためにさらに改良していけば話はつくと思っていた。というわけでウィンドウズ・ビスタを使いはじめていらい、後悔はいちどもしていない。
だがどうやらマイクロソフトのビジネスは、わたしのような顧客よりも、ウィンドウズ・ビスタが使えなくて困っているという顧客の多くで成り立っているらしいということもわかってきた。要するに、安定を求める企業のおかげでマイクロソフトは商売が成り立っていて、そのお客様にそっぽを向かれたら商売あがったりなわけだった。わたしは他人のようにそれを眺めていて、へえそういうもんかい、としか感覚が動かなかったが、どうしてインターネット越しに解決できないのだろうかという疑問もあった。安定を求めるなら、インターネットのどこかに大事なものをしまっておけば、ウィンドウズのあれこれにとらわれることもないのではないかと思った。
ウィンドウズにあれこれ求めるようになったのは、なぜだろう。これほどに多くの人の当たり前の約束事になったものは、ほかに見たことがない。どんな仕事をやっていようと、政治の考えをもっていようと、宗教をもっていようと、言語をもっていようと、みんなが揃ってウィンドウズでやりとりするのが約束事になっている。これは考えてみれば相当ゆがんだことに思える。なにしろウィンドウズを改良できるのはマイクロソフトという一企業しかいない。そこが崩れてしまったらどうするのか。シアトルに大地震が起きたらどうするのか。
ビル・ゲイツという人にはなにより先を見越していまの行動をとる力があると見てきた。そして彼が早めに引退するということには、やはりなにかを見越しているのだろうと思う。そしてたぶん、彼が見越しているほどに先がはっきり見えている人はそう多くはいないはずだ。だから、彼の決断をわけ知り顔でこの話の裏の事情はこういうわけだ、などと言っている人がいてもあまり気にする必要はない。彼がなにをしようとしているのか、正確に把握できる人は彼を含めて誰もいない。そしてウィンドウズになにが起こるのか正確に把握できる人も、彼を含めて誰もいない。ビル・ゲイツとは、誰も知らないことにしか興味がわかない、生まれつきの独り歩む者ではないか。そしてそのような彼の人格に、わたしが惹かれてやまないものがあるのかもしれない。ウィンドウズに感動したのは、ゲイツに感動したのかもしれない。
わたしがウィンドウズについて言えることは、このくらいだ。