ソーシャル・ブックマーク雑感。

この3か月のあいだ、明確な目的をもってソーシャル・ブックマークを使ってきました。というのは、英語で読んだ記事をブックマークしていくと、どういうことが起こるのかを確かめるためです。
これは自分のためにやっていたことです。そして、自分のためにやっていることが、なにかの拍子に誰かの役に立つこともあるかなと思っていたのもあります。気づいた点をいくつか、ここに書いてみます。

  • 引用をするというきまりをつくると、ブックマークの量は自然と落ち着くところに行く。だいたい1日20くらいが目安。
  • 自分なりに興味の方向を限定してみると、ブックマークの数よりも、あとで読み返すときに見やすいことを重く見るようになる。
  • ブックマークの見やすさを重く見ると、自然とブックマークの数は減っていく。
  • ほかのユーザがブックマークしているものを敬遠すると、自然とブックマークの数は減っていく。
  • 誰かの役に立つブックマークとは、役割分担がはっきり見えるようなブックマークになる。たくさんつけるだけでは誰かの役には立てない。
  • 継続的に誰かの役に立つブックマークをするには、コメント欄をつかうことが鍵になる。さじ加減がそれを左右する。
  • 長く続けるにつれ、記事を選ぶ目は厳しくなる。
  • つづけるうちに、自分のブラウザのブックマークと使い分けがはっきりしてくる。
  • つづけるうちに、ソーシャル・ブックマークの使い分けを考えはじめる。
  • ソーシャル・ブックマークの使い分けをするうちに、それをまとめるツールがあれば便利だなと考えはじめる。
  • ソーシャル・ブックマークの使い分けをするうちに、それぞれのブックマークの向こう側に、友人の顔が思い浮かぶようになる。

こんなところでしょうか。これはわたしという色眼鏡をとおして見た世界の話なので、必ずしも多くの人の実感とはそぐわないかもしれません。ただひとつ言えるのは、ソーシャル・ブックマークには中毒性があり、いったん中毒になると、ほかの世界観が見えづらくなるということです。すくなくとも、ここに書いたことをひとことでまとめよと言われたら、「ソーシャル・ブックマーク中毒になった」話だと言います。
わたしがソーシャル・ブックマークを限界まで使ってみようと思い、それを実行してみた結果が上に書いたような所感になりました。限界まで使うというのは、案外数字の限界とは違うところに肝があります。というのは、ただ機械的に読んだ記事をたくさん並べてみても、あまりあとで読み返したいとは思えず、そうすると飽きてしまうからです。飽きないためには、数字とは違ったなにかを求めることになります。誰も見つけていない、すきまを見つける。自分にぴったりとした役割分担を求める。そのためには、記事をブックマークするまえに、もういちど考え直すという作業が必要ではないかと思います。これは継続的に誰かの役に立つブックマークをしている人には、思い当たるところがあるのではないでしょうか。
ブックマークをつける人には、大きくわけて2種類の人がいるようです。それは、波がある人と、波がない人です。わたしはどちらかといえば、波がある人です。というのは、記事を選ぶときにかなり偏屈な方針を打ちたて、それを頑固に守っているせいです。そうすると、だんだん厳しい目で見るようになり、勝手きわまる話ですがそのうちにお気に入りの記者にもブックマークをお預けにしてしまう。自然とブックマークは減ります。いい記事があっても、「これはまあ、条件から外れてしまっているから」と自分のものさしで切り捨ててしまう。そういうことが何度も起こりました。その場合、自分のプライベート空間にブックマークしたり、べつのソーシャル・ブックマークを使ったりします。しかし、そうしているとだんだんブックマークは減ってくるので、なんとなしに焦りを感じてすこし甘くしてしまう。それでブックマークは増えます。それが波がある、ということです。波があることには人それぞれ事情があるでしょう。わたしの場合はこういった事情でした。
波がない人については、わたしはよくわかりませんが、そういう人はすごいなと思います。波がない人のことは、どうも具体的に説明するのがむつかしそうです。
波があるないは人それぞれですが、波がある人のわたしが思ったのは、ブックマークをつけるということに重みをつける、そういった道具立てがあれば厳しい目で切り捨てられた記事にも、敗者復活という日の目を見させることができるのではないかということで、わたしはつくづく、これが実現すればおもしろいなと思っていました。というのは、ほんとうに一生懸命記事を書いている人がたくさんいるな、これはなんてありがたいことなんだといつも思うからです。じつに多くの人がいろいろな場所で本気を出して書いている。それを読みたくても読みきれない、それを見つけた自分はそれをほんとうに生かしているだろうかと思うからです。ティム・オライリーという、ある出版社の親分が、自分の子分たちに大事なことを言っています。「あなたが得られた以上の価値を生み出しなさい」と。これはほんとうにそうだなと思います。