合同会社設立289日目、朝
港区は晴れ。
火曜日。
今朝の株式の相場が気になってしばらく観察していた。
わたしは相場をいっさいやらないし、その仕組みもよくわかっていないのだが、遠巻きに眺めたりはしている。どちらかといえば、人々の気持ちがどう動くのかということに関心があって眺めていて、経済の本は読まないが、雑誌の論説などはいちおう読んで経済がどう動こうとしているのか、誰がなにを仕組んでいるのか(あるいは風説を流しているのか)を頭のすみにいれている。
その習慣からなんとなしに感じていたことは、これはどこかで表裏ひっくり返るような事態がくるだろうなということ。数字うんぬんはよくわからない。だがこの世は紙幣がそうであるように表裏なければ成り立たない。なにごとについても、表に見えていることにはその裏が組合わさっている。そしてそういったことは昔のあれこれのできごとを見ていると、かんたんにひっくり返るものだという事実に出会ってしまう。
市場経済のやりとりが飽和水蒸気量を超える寸前まできている。というのがわたしの感想。超えてしまったら大雨だろう。しかしその雨のあと、洪水のあと、なにが来るのかはよく知らない。だがわたしにとって、それは自分が生き残るための大事な手がかりなので、パラノイアのごとく考えつづけている。
ただひとついえるのは、これからの時代が悪くなると考えているひとよりも、これからの時代が善くなると考えているひとのほうが、はるかに生き残りのチャンスが大きいだろうということ。
そのことの戦略について、これからも自覚していたいと思う。
最後に、なんとなくこの歌が自分の頭に流れている。いまの状況にどこか似ているような気がする。