合同会社設立299日目、朝
港区は曇天。昨晩は風がなくて蒸し暑い、寝苦しい夜だった。
金曜日。
この数週間、自動車のことをあれこれ考えている。アンディ・グローヴが70歳をこえて自動車の燃料へ深く関わり合う決断をしたというのはやはり大きなメッセージがあると思った。わたしも自分の頭で自動車とどう関わるのか考えたいと思った。じつを言うとわたしはかなり長いこと、自動車について考えることをしてきた。もうかれこれ10年以上経つが、17歳のときに高校の政治経済の科目の試験で「企業が果たす社会的責任」について論ぜよ、という問題があって、そこにトヨタ自動車の環境への取り組みを書いた。ありがたいことにその小論文はけっこういい点をもらうことができた。それ以来、わたしにとって自動車の社会的責任は、おおきな関心事になった。その当時は新聞の切り抜きなどもけっこうやったが、いまでは海外の新聞でもインターネットでかんたんに検索して見つかるからおもしろい。
この問題についてはかなり前から手を打っているトヨタが圧倒的に優位に立っている。アメリカでもトヨタがついにGMを追い越したという。ヨーロッパではドイツ車がかなり環境に敏感で、黒煙のでないディーゼル(軽油をつかったエンジン)や、水素を燃料代わりにつかったものなど、相当やっている。そういうのを詳しく見ると、その志の高さに打たれる。
だがこの取り組みが当たるか外れるかは、企業自身にはきめられない。それがどのように人の行動を変えるかにかかっている。言い換えれば、どのように人の心を動かすかにかかっている。なによりも自動車は私有するものなので、その乗り手の考え方に拠るところがおおきい。つまり、自動車については、企業だけではなく、それをつかう多くの人がその当事者だということが肝で、たとえば「自分は自動車は運転しない」という人もいるだろうが、かといって一切乗り物に乗らないというわけではないだろう。バスだって、タクシーだって、電車だって動くには燃料か、電力が必要だ。電力だって、なにかを燃やした結果なのだから、そんなに違わない。ということは乗り物に乗る以上、移動する以上は燃料の問題と他人ごとではすまない。ではどうすればよいか。人はできるだけ移動しないほうがよいのだろうか。
わたしは移動=悪だという風潮が生まれることに恐怖を感じる。それから、「今日から決まりがかわったので全員それに従うように」といったことが行政府によって行なわれることにも恐怖を感じる。なにかの拍子に一律に自動車にかかるお金をつりあげて、そこから吸い上げたお金で大号令をかけるといったことが起こるのではないかとわたしは心配している。そしていったんそうなった以上、企業はせっかく取り組んできた努力を中断しなければならないかもしれない。自動車を改善する、燃料を改善するというのは途方もなくおおきな挑戦なので、カネもかかれば手間もかかる。それは巨大な企業が巨大な売り上げを当てにして行なうしかない。しかし自動車が売れなければ、それも頓挫してしまうかもしれない。
わたしはどちらかといえば、自動車に乗らないのが当たり前という暗黙の了解が支配する世の中になることのほうが怖い。だから、「自動車が環境によくないのだから電車に乗る」といって興味にふたをしてしまう流れには、逆らって歩こうと思う。
自動車の歴史をまなぶ、自動車をいちからつくった人間がなにを考えていたのか、どのように受け止められてきたのかを知る。それがわたしの大事な関心事になった。今月の頭に愛知県まで出かけて、そのきっかけを得ることができたのは、とても意味のあることだったと思う。