「日本語が亡びるとき」を読んで(4)
ちょっと待て、駒田よ、ほんとうにそれでいいのか。それがお前がこの論考を読んだ感想でほんとうにいいのか。なにか忘れてはいないか。
どこかからそんな声が聞こえてきたような気がしたので、頬っぺをつねって夢じゃないことを確かめてから、もういちど考えてみた。
じゃあお前はどうするのか。それを問われてしまうのが、「日本語が亡びるとき」を読んだ人の抱える悩みかもしれない。
正直にいって、この時代に生まれたことは自分で選べなかったのだから、これから考えてみるしか方法がない、と思う。
この水村論考でもっともすぐれた点は、筆者が自分もその混沌のなかに置かれているひとりだということをひげ先から尻尾まで敏感な猫のように感じ取っていることだ。自分は知っているから高みから見物、などと思っていないことが読みだしから伝わってくる。
わたしが水村さんの意見にいちばんシンパシーというか連帯感を感じたのは、翻訳のことを書いているくだりだ。
ここで鍵になるのは、人類の<書き言葉>の歴史でもっとも根源的なものでありながら、不当にないがしろにされてきた、翻訳という行為である。
水村さんがここで言っているのは主に、ギリシア語やラテン語で書かれた詩や学問、聖書をあらゆる国の現地語に翻訳してきた歴史のことらしい。上位にある書き言葉としての普遍語を、下位にある庶民が読むための現地語に移す。もともと翻訳は言葉にヒエラルキーがあることを前提とした行為だった、という説明だ。
私は小説家である。翻訳という行為をこのように規定するのは、私自身、ほとんど不条理な思いがするぐらいである。ある小説が一つの言葉からもう一つの言葉へと翻訳されるというのは、叡智や思考のしかたを一方から片方に移すなどという行為にはとうてい還元できない、きわめて芸術的な行為だからである。事実、翻訳は原書をより高みに引き上げることさえもできるものである。だが、一歩下がって、人類の歴史を広い視点で振り返ってみれば、翻訳の本質は、まさに、上位の言葉から下位の言葉への叡智や思考のしかたの移行にあった。
自分が小説家であるという立場からものをいう。とてもむずかしいことを水村さんはここでくぐり抜けようとしている。その姿勢になにか打たれたような気がした。
「日本語が亡びるとき」という題名で日本人に向かってなにかを言うことは、そもそも危険なことに思える。そこから受ける印象だけで無用な誤解を招くし、筆者の仕事が日本の読者によって成り立っているのなら、誤解が筆者のその後の書き物につきまとう可能性もある。にもかかわらず思い切って飛び込むことができたとは。
ささやかながら援護の言葉を投げかけさせてもらえるのなら、わたしはこう言いたい。
水村美苗さんは、このあたりで学者と名乗ることもできた。でも小説家と名乗ってさらに先に進もうとしている。勇気のいることだし、行く先々で余計な面倒を抱えることもあるかもしれない。それでもなお、彼女にはまだ言わなければならないことがあるのだ。それが彼女の話す理由だ。それに耳を傾けておきたい。
それにしても、なぜここまで踏み込んで言う必要があったのか。それは水村さんが小説家だという自負をもっているからだと思う。
それを垣間見られるところがある。
今、英語の世紀に入ってから振り返ると初めて見えることがある。
それは、小説というものの歴史性である。
と、このように切り出された話はそのままこの論考の終わりまで引っ張られる。締めくくりに日本近代文学が歴史からみていかに特殊であったか、世界からみても繁栄していたかを示して、この話は終わる。
水村さんが日本近代文学の日本語を守ろうとしていることは、ここまで読み進めれば察しがつく。なるほど、「日本語が亡びるとき」というのは、そういうことだったのか。括弧つきの日本語だが、これがそのうちに亡びるということが水村さんには見えてしまった。水村さんは中学入学時にアメリカに渡った。その気があれば英語を選んで生きていくこともできた。まちがった選択をしてしまった、それでもなにか、英語を選ばなかったことのなかに希望のようなものは見つからないものか。そう考え抜いた末の言葉なのだとわたしは受け取った。
だが受け取ってみると、なかなか重いものである。
とくにわたしなどは英語圏の文化が、国家を超えていかに自然でない方法で世界に拡がってきたかを学校で学んできた経緯があって、ことによったら日本語で英語圏文化をちくちくと刺しながらものを書いていく人生を進んでいたかもしれない。そう思うと他人事ではない。
その後わけあってビジネスの世界に足を踏み入れ(勝手ながら)いまここにいるわけだけれど、翻訳というのも考えてみれば「上位の言葉から下位の言葉への叡智や思考のしかたの移行」を支えているわけで、そこは割り切らなければ仕事として成り立っていかない。水村さんの論考を読んで、割り切ったつもりになっていた部分をいやおうなしに見直すこととなった。
インターネットの世界に住むように暮らして、自分の読む、書く言語を自分で選んで仕事をしているような気分になっていたところが、実のところ英語の世紀のなかでふと顔を上げたら目の前に突きつけられていた踏み絵に、どう答えるのかとわたしは決断を迫られている。そんな気がした。
英語はすごくおもしろい。でもときどき怖い。
その気持ちを生き残りの戦略という器に注意深く移しかえる。少しも目を離せない、そんな微妙なさじ加減を、わたしが生まれた時代と同じ時代に生まれたわたしたちは、脚を組みあわせてじっと考えるための座敷に足を踏み入れているのかもしれない。
(つづく)