「日本語が亡びるとき」を読んで(12)

しばらく待ってみたところ、わたしの期待していた以上のひとことを言ってくれた方がいた。
その方の見方は、小説としての『日本語が亡びるとき』を読んで、その主人公である「私」が結末の章で思い至ったことが衝撃であり問題となっている、というものだった。
思わずひざを打ってしまいそうなひとことだった。わたし自身がうだうだと考えつづけていたことをさらりと言って、その先へと論を進めている方がいて、ああなるほど、これでよかったのかなと思った。
なにがよかったのかというと、自分がこの本を読んで思いついたことを何回かに分けてぼそぼそと書きながら、周りの方がどのようにこの本を読んでいるのかをこっそり垣間見てきたことだ。わたしはどちらかといえば、本を読むのは内向きで完結してもかまわないと考えていて、本を読んだということをわざわざ人に言って回るほどのことはないと思っていた。本を読むのは学校の授業でなにかを一斉に読むのとは違う。大人になる前からそうだったし、大人になってからもそうだった。他の人もきっとそうだろうと思っていた。自分の思いを満たすために自分で本を選び、手に取ってページをめくり、読み終えた本はひっそりと自分の書棚に安住する。それで十分、本を読むことの恵みは果たされたと思っていた。もしその本についてなにか人と話すことがあればそれは生きるための仕事というよりも、仕事を終えて余った時間の使いみちとして考えておけばいいと考えていた。余計な理由など考えるまい。それは、縁あって大学で文学の研究をしていたときも、たぶん変わっていなかったと思う。だけれど、いまのわたしは違う。
いまのわたしは本を手に取って、ページをめくるところまでは同じでも、その後が違う。読み終えた本はひっそりと自分の書棚に安住するとはかぎらなくて、手狭になればどこかへ引き取られていくことも多い。本を読むのが当たり前という日々が長くつづけば、自分の書棚に収まりきらない本が自分の生活をおびやかすようになる。自分の生活と呼べるほどのものはなくとも、いちおう生きる以上は場所があって、かぎられた空間のなかで衣食住をする。いったん切り取った自分の生活の空間を、本のために広げていくのはむずかしい。世の中にあふれる本と、世の中にかぎられた生活空間の釣り合いを考えれば、そのせめぎあいはどうしても、かぎられた生活空間のほうに軍配を上げるより手がない。人生長く生きればどうしても本の置き場所は足りなくなるものなのだとようやく、20代も終わりに差し掛かって、あきらめがついてきたのだ。
そのわたしにとって、自分の頭の容量は、あまりにも狭い。引き取られていった本の中身をいつまでも収めておけるほど、わたしの頭には空き地がないようだ。そのことに気づいたとき、いままでどこか信じ込んできた自分の内面的人生の成長を、いつまでも頼みの綱にするのはみっともないことだと思った。自分には先がある、なんでもできるんだという思い込みは子供のときに頂点を見る。もちろん大人になればそんなことは無理な相談だとだんだんあきらめが出てくる。それでもどこか、世の中を思い通りに動かすことはできなくとも、自分の頭のなかくらいは思い通りにしておくぞという傲慢とも過信ともいえる思い込みは生き残っていた。だが大人になれば世の中でいろいろな場所を見て、いろいろなことが自分の庭先のように見えても、じつは自分だけのものと思い込んでいた自分の頭のなかさえも、他人の庭先になってしまうのだということに気づく。困ったことに、その宣告はとつぜん何の前触れもなく、やってくるのだ。自分の頭のなかは無限ではない。お前の命も、無限ではない。なにを考えていても、なにを覚えていても、それはいつかは終わるものなのだ。違うのはせいぜい、早く終わるか遅く終わるかの違いしかない。
無限ではなく、自分の思い通りにもならないのならば、自分の頭にあるあれこれは、むしろ外に出しておいたほうがいいのではないか。そんな具合に考えて、わたしはその捌け口をインターネットの世界に見つけた。ほんの小さな、一室ではあるけれど、自分の頭よりは広い。とりあえず荷物をありったけ置いても誰かの邪魔になるほどではない。邪魔だと言われたら、そのときにはそのときの隠れ家もあるらしい。ああ、インターネットというのはこれでけっこう、救いがあるんじゃないか。案外くつろいでも大丈夫なんじゃないか。そう思えたのは、いつだったか忘れたが、気がついたときにわたしはブログを書いていた。
そんな世界で、自分の読んだ本や雑誌、ひとの書いたものについて、自分なりにどう読んだかを書いている人がたくさんいる。ひとり一人はそれほど目に留まらない。だがたくさんの人が書いているたくさんのものを見ると、ここはつながった脳の広場だなと思えてくる。自分の脳をどのくらいそこに寄付するかは、自分で決められる。ここは多めに寄付しておこうと思ったらもちろん誰も止めない。ここはちょっと勿体をつけて小出しにしておこうと思ったらそれもかまわない。ただし寄付した自分の脳については、もう自分だけのものではないことに念を押しておくのが礼儀。その礼儀さえ整えておけば、あとはお好きにどうぞ、という世界。つながった脳は、つながっていない脳よりも、かえって自分の思い通りになることもある。いや、思い通りというか、期待以上のことも起きるのだ。それは正直にいって、自分が自分である以上に、気持のよいものだった。
たとえば。なにか大事な仕事を成し遂げて、ふと我に返るときがある。そのふとした瞬間に、どうしようもなく自分がつまらなく感じることがある。自分の仕事はなかなか悪くない。けっこうなことを成し遂げた。その評判にも満足している。だが自分に返ってみれば、鏡の向こうにいる自分はなんと、曇った目をしていることか。死ぬほど体を酷使したあとで、その苦役が終わったあとに感じるけだるさ。あの自分を苦しめ抜いた苦行が、気づいてみれば自分の目がいちばん輝いているときだった。そんなことが生きているうちに、何度かあった。そう、自分が自分である以上に、気持のよいことはある。誰かの役に立つということだ。
自分の脳を寄付して、インターネットのあちら側にはつながった脳が、毎秒ごとに呼吸をしている。たとえば、自分が眠っているあいだに、自分の体とはべつに動く、夢遊する体がどこかでなにかの活動をしている。自分の体は布団で寝ているはずなのに、夢遊する体のほうは勝手に走り出したり、聞いたこともない人の名前を呼んだりする。インターネットのあちら側にあるつながった脳が呼吸するのは、そんな感じのするものだ。起きたら知らぬ間にブログが書き込まれていたということはないけれど、自分のブログにコメントがついていたとか、ひとのブログに紹介されていたとか、そういうことはある。自分の預けた脳が、どこかで仲間をみつけていたんだと思うと、それはなかなか気持のよいものだ。
そしてなによりも、自分がうまく言葉にできなかったことを、ひょんなきっかけですれ違っただけの誰かが、うまい言葉で言い表してくれているのを見つけると、あれれと思う。なんでこの人はぼくの考えていたことをすでに知っているんだろう、まだ言ってもいないのに不思議だなあ、とくに知り合いでもなかったはずだけれど、未来からやって来たのかなとか不躾にもつぶやいてしまう。わたしにとって、インターネットの世界というのは、思ってもみないことが思ってもみない場所で起こる、それも自分の脳と他人の脳との境目も越えることがある世界だ。
と、ふと思ったことを前書きとして、『日本語が亡びるとき』を読んで、思ったことをもうすこしつづけて書いてみる。
話のついでなので、この本がブログ界隈でわんさかと人だかりができるほど盛り上がったことを付け加えておこう。なにがきっかけだったのか、誰が言い出したのか、誰がそんな言葉を発明したのか、世の中生きていると不思議に思うことがいろいろと起きる。こんどの騒ぎもそのひとつというか、数年たって振り返ればああ、あのとき珍妙なできごとがあったなと思い出すような歴史上の小さな事件だと思うので、いちおう今のうちに思ったことを書いておこう。
ひとつ言えるのは、わたしが『日本語が亡びるとき』という作品を知ったのは梅田望夫さんの寄稿した、産経ウェブ掲載の記事だった。8月終わりごろだったはず。それを読んだ梅田さんがその衝撃を隠せないほど、なにか深く感じるところがあったのだろう。梅田さんの短くまとめられた記事の行間には、これ以上刈り込めないほどに縮められた文章に特有の、圧縮された蒸気の勢いとでも言えばいいのか、とにかく居ても立ってもいられないようななにかがあった。それでわたしはとりあえずブログでこの作品に興味をもったことを書いた。
そのときはまだ「日本語が亡びるとき」は未完だった。冒頭の3章だけが「新潮」9月号に掲載され、残りは追って単行本になり出版される予定ということだった。わたしは冒頭3章を読んだだけでのぼせ上がってしまい、そのときのまとまらない思いを無理にブログに押し込めるようにしてごりごりと書きまくった。書きまくったという表現がちょうどいいくらい、一気に書き上げた。あとから思い返せば言葉の至らないところがあちこちに見えて、その行間にはわびしいすきま風が吹いている感じだったが、それはこの作品が人を黙っては居させない挑発する身構えをしていたからだ、それもじつに見事な挑発だったからだと言っておきたい。
その後しばらくあって、11月には単行本になった『日本語が亡びるとき』が手に入るとわかり、わたしは発売前にアマゾンに予約を入れ、これで準備完了とふんぞり返って待っていた。宅配便を受け取るときにまでふんぞり返っていたのでもないけれど、いざ届いた包みを開けてページをめくってみればとんでもない世界がそこに広がっていることに気づいた。なんなんだ、この見たことも聞いたこともないような知識のおもちゃ箱は。これって文学ですか、動くんですか、生きているんですか? みたいなわけのわからない言葉が出てくるくらい、とにかく衝撃を受けた。昂奮して一気に読み終えた。
息つく暇もなく、わたしはさっそくコンピュータの前に座って、パタパタパタとキイボードを叩いた。めちゃくちゃな叩き方だったので、文字が与太ったような気がしたが、とにかく打ち込んだのは、梅田さんのブログのアドレス。そろそろアメリカも朝だ、ひょっとして梅田さんもなにか書いているんじゃないかと思った。パタパタパタ・・・ビンゴ!
ぴったりだった。ちょうど梅田さんはブログを投稿したばかりだった。おお、一番乗りと思ってわたしはブックマークをして、ついでに記念のつもりではてなスターをつけてみた。わたしがはじめて使ったはてなスターだった。そしてそのままなだれ込むようにして自分のブログを書き込んで、投稿した。登録する前にいったん息をついて、はてなブックマークがどれだけついているのか、見に行ってみた。案の定、これはすごい勢いでブックマークが増えている。ブログ炎上もあるか、と思えるほどだった。コメント欄にもいくつか書き込まれていたかもしれない。いずれにせよ、賛否両論はげしい反応が梅田さんの記事に寄せられている。わたしは気をとりなおして、自分が読んでいちばん線を引きたかった箇所を引用することにした。
その箇所とは、インターネットの時代に英語がどのように広がるかという文脈で、『日本語が亡びるとき』の著者である水村美苗が自動翻訳の可能性を一撃で否定してみせた箇所だ。そして、その段落の末にちょこんと添えられたひとことに、水村の強い思いがこめられているような気がした。249ページ(初版第1刷)。「そして、読む快楽を与えない文章は文章ではない」
このあたりの捨て台詞のようなひとことが、水村流の断言とみて相違なさそうだった。自動翻訳で翻訳された文章は読む快楽を与えないという説明はじつに明確で、フランスの言語学者が言ったことを思い出せば、読む快楽というのは「テキストの快楽」のことだと見当がつく。だがその次がよろしくない。前の文の言い換えともとれるし、前の文の逆ともとれる。逆というのが大げさであれば、立場が対立するとも言えるだろうか。言語学者として発言したいのか、それとも小説家として発言したいのか。これは見逃せないことであって、水村は自分がいかなる立場から発言しているのか、冒頭の3章のときから、くり返し読者に確認を求めている。日本語が「亡びる」というとき、自分は言語学者として発言するのではなく、小説家として発言していると水村はいう。その後もこちらが疲れてくるほどにくり返し自分は小説家として発言する旨を読者に求めてくるので、この前の文とつぎの文の関係はちょっと見過ごすのがむずかしい。
この割り切れない思いは、とりあえず棚に置いてこれが水村の立場の表明なのだと解釈しておいた。これは一種の賭けだったが、そうしておいて、わたしはこれが水村の出発点で、そこから外れた日本語が亡びるかどうかにはこの本には書かれていない、とつけ加えた。なぜそうしたのかといえば、すでに(ブックマーク)コメントを見ると日本語が「亡びる」との言葉に条件反射したような反論が飛び出していて、それが追従を呼びそうな気配がぐっと迫ってきたからだった。その時分で読み終えた数少ないひとりとして、わたしがひとこと付け加えるとしたら、これはそういう本ではないと思いますよというひとことだった。ま、自分などが言ってもたいした効き目はあるまいと思ったが、せめてもの思いで言っておいた。しばらくはなにも書けないような気がした。騒ぎはそのまま、雪崩を打った。地響きがした。ああ梅田さん、これでよかったんだろうか、わたしになにかできることはありますかと言いたい思いだった。だが雪崩を止めるのは、人間ひとりにはできない。
そういうわけで雪崩がひと段落つくまでは黙っていようと決めたのだが、この本を読んだときの最初の感想から読んでくれている人がいることを思い出して、ここはひとつずつ小さな山を積み上げていこうと思った。たぶん、かなり時間がかかるだろう。いつ終わるのかはわからない。どこかで打ち切りになるかもしれない。それでも仕方ないか、乗りかけた船だ、最後まで乗り込んでいこうと思ってわたしは身支度をはじめた。
そのときだったか、自分の手の届くところで周りの人がなにを書いているか見ておこうと思った。自分の読み方などはほんの小さな一握りにすぎない。せっかくこの本をたくさんの人が読んでいるのだから、ここでひとつ腰を落ち着けてブログ界隈の在野の声も聞いてみようと思った。探すのは簡単だ。ブログ検索というのが世の中にはあって、これがなかなかよくできている。時間系列に検索して並べてみることもできるし、高いスコアを得ているブログだけを表示させる機能もある。そんなに時間はかからない。わたしは手当り次第に読んでみることにした。だいたいの場合、本が出た、話題になっている、という紹介にとどまっている。だが気をつけて読めば、この本を大事なきっかけととらえて、単に日本語の危機を叫ぶ本としてではなく、自分の置かれた立場でなにができるかを自問する方面へと話を進める人もいた。それはなかなか興味深いことだった。世の中には、いろいろな場所で日本語とほかの言語を併せて使いながら生きている人がいる。ふだんはあまり読まない日本語のブログには、思った以上に深く太くはりめぐらされた「つながった脳」が生きているのがよくわかった。それは時には励みになり、時には脅威にも感じられた。すぐれた書き手の多くは、すでに多くの読者をひきつけている。それがブログ検索の「スコア」で優位に立ち、下位の書き手を引き離していた。わたしはなるたけ偏見を避け、スコアの低いものを拒まずに読むことにした。長い文章、短い文章、控えめな文体、押し出しの強い文体、いろいろあった。だがいずれにせよ、それはわたしと同じくらい在野の書き手なのだ。短くても人をうならせる書き手はいる。視点が広くて隙のない論を張る書き手もいる。単になにかの鬱憤を吐き出したように見える書き手もいる。あるいは自分が正しいと思い込んでいるように見える書き手もいる。だがどれもひとつのキーワードでつながっている。それを思い立てばどこからでも探し出すことができ、自分の書いたものもその対象となる。なるほど、と思った。
少し時間を置いて、息を整えてから、休日の余裕を栄養にしてもういちど考えをまとめてみることにした。その結果が11月10日に投稿したものだったが、これはじわじわと評判がついて、結局30人以上の人がブックマークをつけてくれたことになる。自分が書いたものがそこまで深く読まれるとは思ってもみなかったので、これは意外だった。そもそも多くの人を的にしていないので、わかりやすい文章とは思えないし、とくにおもしろいことを書いたつもりもなかった。だがなにか、てこの作用なのか、『日本語が亡びるとき』への関心が相当なところまで行き渡ったのかもしれない。潜在的な読者というのはいつでもいるはずだ。それはブログという媒体の性質上いつでも誰にでも読めるところまで開かれているからだ。だがこれは特殊なことが起きていて、そこに勢いの力が働いている。そしてその勢いは、そう頻繁に起こるようなものではなくて、なにか異常なことが起きていると思われた。インターネットでのできごとはほかの媒体とくらべて伝播速度はだいたい互角だが、そもそも到達する範囲がかぎられている。だがこれはその範囲を目一杯に行き渡らせたかなと思われた。ふだんは関心の方向が別で、すれ違いもしない相手とも出会い頭になにか起こりそうな、しかも自分もいつでも当事者になりうる話。ひょっとしたら日本語という言葉の響きがここで頂点を見たのではないかと思える。日本語が亡びる云々というだけでここまで議論を巻き起こせる事件というのは、これから先起こるだろうか。自分もそれを見る機会があるのだから、踊るも阿呆見るも阿呆、踊らにゃ損損とまでは言わないけれど、どうせ阿呆だし、未来の人間からみたらただの空騒ぎだよなと思うし、それでもいいから当事者として見ておこうと思った。無理にこの本を要約して澄ましていてもあまり利口に見えないだろう、自分阿呆でも結構。
というわけで阿呆になってみたが、これを書いてよかったと思う。そのおかげで妙に格好つける必要もなくなったし、なによりいろいろな人とつながった。なかにはわたしの書いたものを読んで、ひとつの踏み台にしてもらったこともあるかもしれない。世界のなかでなにか偶然がただの偶然以上の意味をもって起きることを感じることができた気がする。あれこれ論争のようなものは起きたかもしれない。だがそれはなにも人をやっつけようとか、あいつを袋だたきにしようとか、そういうものではないとわたしは感じた。テーゼとアンチテーゼがぶつかるとき、シンテーゼを自ずと求める力が働くのが人間の思考の歴史の骨子であったように、インターネットという「つながった脳」はどうやら時間が経つにつれ、シンテーゼを自ずと生み出しているようだ。それがこの数日のあいだに起きている。思ったよりも、ここまで早かったのではないだろうか。
わたしにとって、『日本語が亡びるとき』が与えてくれた恵みは、その中身というよりも強力につながろうとする磁力のほうにあった。この本はいちど読み終えても、そこで話が終わるのではなく、読み終えてからが自分との対話になる。そこで本の外を向くことになるが、そのときにどこを向けばいいかは、この本に紹介されているあれこれの本の名前をおさらいしてみれば、あとは自分はどれを選ぶのかという問いかけに変わる。わたしの場合、ひとつにはエドウィン・マックレーランの翻訳で出版された『こゝろ』であったり、ひとつには吉田健一の『文学が文学でなくなる時』の再読であったり、ついでに白状してしまうと未読の水村美苗本格小説』であったりした。
言い換えれば、『日本語が亡びるとき』の価値は、その次に読む本によってどの方向へでも変わっていくのではないか。次の本を読み終えたとき、ふたたびここに戻ってみると、何かが自分のなかで結びつき、そして同時に分裂する。結びつくのと、分裂するのとは入口と出口のような関係で、無限ではない自分の頭のなかで、入ったものと出たものが選り分けられていく。『日本語が亡びるとき』は、いちど要約してみても、その要約を何度でも書き直すことができると思う。そのような読み方のできる本は、たぶん書棚に安住の地を見つける。そう簡単にはよそに引き取られていかないだけの強さを備えているし、それだけの狡猾さも狙って書かれた本とも言えるかもしれない。そして世の中にはおそらく、それを読んだことをあまり人に言わないほうが本人にとって心地のよい本もあって、ありがたいことに、わたしにとって『日本語が亡びるとき』はそのような本ではなかった。ひょっとしたら、これはインターネットの時代に書かれた本だからだろうか。
おそらく、これからもこの本の読み方はあとから加えられていくだろう。ここで終わりと決めることもできる。だがそれではなにか落ち着かないような、もうやめたと決め込んでみてもいつのまにか再び手に取っているような、そんな本だ。たぶん、わたしはブログで書かれたこの本の読み方をもうしばらく検索しつづける。