「日本よ、オバマを恐れるな」を読んで

「文藝春秋」2009年2月号を読んだ。
おもしろかったのは、「日本よ、オバマを恐れるな」という記事で、これは題名だけ見れば誰が書いたのかなかなか想像がつかないと思う。じっさい、これは対談のかたちをとっている。
対談しているのは谷内正太郎と手嶋龍一。
それぞれがわたしにとって思い出のある人物なので、興味深く読んだ。というか、これはなかなかスリリングな記事だった。編集がうまい。
オバマのことは話されているが、それが論点となっているのは話の行きがかりにすぎなくて、このふたりが土俵にあがってがっぷりと組み合ったら、それはそれぞれの外交論を戦わせることになる。それが手嶋が聞き手にまわるかのように見えてじつは谷内のことばを挑発しながら引き出し、そこに持論をぶつけるというかたちをとっているものだから、これは話が終わるまで席は立てないと思った。いや、べつに同席していないのだが。
手嶋龍一という人はわたしにとっては2001年9月11日の人だ。
わたしがこれまでの人生のなかで最後にテレビに釘づけになった日のことだから、これは忘れられなくて、当時NHKのワシントン支局に当番だった手嶋がまったく休まずにひとりでカメラの前に座り、つぎつぎと飛び込んでくる驚くべき事件の進展を、地声とも裏声ともつかないような調子で淡々と語りつづけたのを覚えている。
そして2001年さらにさかのぼり、わたしは6月に外交官試験を受けた。そのときは谷内正太郎という人が田中眞紀子外務大臣に忠実な外務事務官として力を蓄えていたのを知らなかったし、その後谷内が麻生太郎外務大臣に忠実な外務次官になるとも想像がつかなかった。そしてわたしはどういう風の吹き回しか、一度は忘れていた外交官試験を受け直そうと思って勉強にとりかかる。これは2007年春だった。麻生大臣と谷内次官が、「価値観外交」「自由と繁栄の弧」という合い言葉でがっちりと手を組んで、底抜けに明るい外交をめざしていた時期だ。
谷内正太郎は、底抜けだったのだろうか。わからない。
記事を読んで、それがわかるかなとも期待したが、この頃合いで、谷内はうかつなことは言わないだろう。どこで陰口をたたかれるかわからない、それに2009年になってかつての上司、麻生太郎外務大臣ではなく総理大臣だ。「麻生とあいつのせいで」などとスケープゴートにされそうな事態は避けて通りたいのが本心だろう。しかし谷内という太陽の明るさしか見せないサラブレッドには、なにかしら「生まれはいいが育ちは悪い」と自嘲する麻生太郎と通じるサラブレッド・コンビの印象がつきまとう。ある意味麻生と逆なのかもしれないが。
記事のことは触れないが、ひとつだけ引用しよう。

谷内 まぁ、それは実際に起きた結果をみて判断していただきたい。二十世紀前半のイギリスの外交官だったハロルド・ニコルソンも、その著作『外交』のなかで、外交には外交政策と外交交渉という側面があるが、この二つを混同してはいけないと説いています。外交政策は透明性を高めて大いに議論されるべきだが、外交交渉にはブラックボックスの一面もあるのだと書いています。
これがまさに正論です。外交交渉の詳細をすぐに公表するわけにはいきません。ただし、記録はきちんと残すので、三十年なり何十年か経った後に、その経緯を知ることはできる。だから、今は交渉の結果をみていただきたい。

ニコルソンの『外交』は前に原文で読もうとしてあきらめたような覚えがあるが、日本語訳が東京大学出版会から出ているようなので、注文してみた。
わたしの外交政策と呼ぶべきものがあるとしたら、なんだろうか。わたしは国家の外交にかかわる人間ではない。だが個人として、ある種の外交にかかわる機会があるような気がしている。外交政策は透明に、外交交渉は一部においてはブラックボックスに、という考えはそのまま頂戴させてもらえそうだと思った。
翻訳というのはやはり出たもので勝負すべきだ。結果が悪ければそれが過程だろう。そこに至るまでの過程は個別に翻訳する以上は原著者との苛烈な戦いがあって、じっさいそこにはブラックボックスにせざるをえない件もいくつか生じる。だが言われてみればたしかに、外交交渉と外交政策はちがうのかもしれない。外交政策はやはり透明にしておくのが筋なのだろうか。
なにかしら谷内、麻生にはこれからも教わるところがあるかもしれない。