プロファイル画像とオンライン・アイデンティティ

(This is a translated version of the "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.
今朝わたしはツイッターのアカウントであちこち見て回っていた。タイムラインを眺めていたり、ダイレクト・メッセージを見たり、最近のフォロワを見たり、わたしがフォロウしている人を見たりしていた。ふとわたしは思って、そこにあるアヴァタをひとつひとつ気をつけてみると、その後ろにいる人のことが思い浮かぶようだった。右に載せた画像は、わたしがフォロウすることに決めた直近の7人のプロファイルだ。
人が自分のオンラインでの姿をどれにするか選んでいるのを見るのはとても興味深い。いちばん単純なのは自分の顔写真で、思うにこれは、プロファイル画像をアップロードするように言われたときにいちばん多くの人が選ぶ方法だろう。これはカラ・スウィッシャの選んだやり方でもある(彼女は1番目のプロファイルの人で、これがもっとも最近のフォロウ相手だ)。
顔写真といっても、なかにはちょっと笑ってしまうような画像を載せる人もいて、自分のプロファイルを特徴づけている。マイク・ダウティ(2番目のプロファイル)は、顔をテーブルの上に載せてカメラとのあいだになにかの箱を置いている。スチュアート・エルマン(5番目のプロファイル)は道化師のような格好をしている(たぶんハロウィーンの写真だろう)。どちらも、たんに写真が載っているという以上のことを語ってくれる。
なかにはなにかべつの写真とか、別人の写真を載せる人もいる。ローレン(4番目のプロファイル)はどうやら家族の写真らしいものを選んでいる。ハウイ(6番目のプロファイル)は自分の友達でありスプリングスティーンのギタリストであるニルズ・ロフグレンの写真を載せている。この場合本人の顔は見られないけれど、それでもやはり自分自身についてなにかを語っている。
わたしは90年代前半からオンラインでやっていて、そのあいだなにかにつけ、そのとき好みのプロファイルを選んできた。だがこの数年は、いまオンラインではどこでも使うことにしている画像に落ち着いている。これがわたしにとっては自分のオンライン・ブランドだが、これはたまたまなにかの拍子に手に取ったものだ。それがどういうきっかけで出会ったのか、それからそこから学んだことについて、みんなに話せたらおもしろいかなと思った。
2006年の中頃、ハワード・リンゾンがわたしのところに来て、こんど自分は「ウォールストリップ」なるウェブ・ヴィデオ・ショウをプロデュースしようと思っている、参加しないかと持ちかけてきた。ウォールストリップの第一期は、その日の株について話をするヴィデオを毎日流すというもので、それに加えて、12、3人くらいのブロガーが株の投資のヒントになりそうなことを短くまとめて投稿するというものになった。
ハワードはわたしにその12、3人のうちの一人になってほしいと言った。わたしはしばらく考えてから、いいよと答えた。そうすると、わたしの与り知らぬところで、かれは自分のフェニックスでの友人のアーティストに頼んで、そのブロガーたちの写真を見つけてきて、ウォールストリップでアヴァタとして使えそうなスケッチを描かせたのだ。これがわたしのものだ。
わたしは見たとたん、これが気に入った。わたしの好きな色(みどり)が背景と目の色に使われていた(わたしの目はときどき青、ときどきみどり、ときどき何色か)。わたしに似ていて、でも似すぎていない。
そこでわたしはこの絵をウェブのあちこちで、自分のプロファイルをきめるときには使うことにした。だがかならずしもこれしか使っていないというのではない。リンクトインのような会社むけのサーヴィスには、ユニオン・スクエア・ヴェンチャーズの顔写真を使うことにしている。フェースブックのようなソーシャル・ネットにはいつもの顔写真(絵)を使うことにしている。自分の写真を載せるときはここ長らく、フリッカを使っている。
だがいつからかわたしは、ウォールストリップのアヴァタが自分のオンラインのアイデンティティのようになっているのに気づいた。人は年中コメントを寄せてくれる。ウォールストリップを売却したあたりのとき、ハワードは友人のアーティスト(わたしはどうも彼女の名前が思い出せない、ハワードが名前を教えてくれたらこの投稿をアップデートして載せよう)に頼んで、ユニオン・スクエア・ヴェンチャーズのわたしの仕事場にも飾っている本物の絵をわたしに贈ってくれた。これはリアルでも会話のきっかけになりやすい。
昨年のいつだったか、わたしは決心して、これをどこにでも持っていくことにした。このブログのいちばん上にもあるし、オンラインのアイデンティティとしてどこへでも持っていく。この決心はなにか大事なことのきっかけとなったようだ。
この投稿でもはじめに述べたが、これはわたしのオンライン・ブランドになったのだ。単純で、小さく、すぐ見分けがつく。わたしがオンラインにいるときはどこへでも連れていくので、使っていくうちにだんだんとこのアヴァタが自分自身のように思えてきた。これはわたしの視覚的ハンドルで、しかもシグニチャであり、本物である証拠でもある。
だがオンラインのアイデンティティを統一することには危険も伴う。誰かがこれを無断で使って、わたしであるかのような振りをするかもしれない。そういう心配もあって、それも理由で多くの人が定期的にプロファイル画像やアヴァタを変更することを選ぶのだろう。わたしはそういうことに至っていないが、そのうちそういうこともあるにちがいないし、そのときどうするかはまだわからない。
オンラインのアイデンティティはウェブで活躍するアントレプレナーにとっては、大きな関心事であり、大きな機会でもある。フェースブックがオンライン・アイデンティティの証明を提供する大事な役割として急激に伸びてきたように感じられるが、これはかれらにとって賢いやりかただし、ウェブ全体にとってもいいことだろう。だがそれでも、フェースブックなどがやっていることの中や周辺でサーヴィスをやろうとしたら、途方もなく大きな機会がまだ残っている。オンラインのアイデンティティは強力で、日々のオフラインのアイデンティティともますます結びつくようになっているからだ。わたしのアヴァタはそのいい例だと思う。