アップル様: スノウ・レパードを無料にしてください!

(This is a translated version of "The Mac Night Owl" blog post. Thanks to Gene Steinberg.)
寛容な読者の方には、わたしがこのことばをよかれと思って使っていることを念頭においてもらいたい。というのも、わたしはなにもこのリクエストを需要があるように見せかけようとは思っているわけではないからだ。もっともこの件には強く思うところがあるのだが。
ではどうして、わたしがこんなリクエストをするのか? それは、ある意味10.6のリリースは、10.1のそれと同じようなものだからで、要はシステムを整理整頓して機能が高速かつ安定して動くようにするというねらいだから。もちろん、初期の10.0はアップルによれば、アーリーアダプタの人たちやマックOSXを会社で使ってみようかと可能性を検討している人むけだったのはたしかだ。
なかには、当時これを使ってみてずいぶん困ったものだと感じた人もいるだろう。たとえばCD書き込みなど、いろいろな機能が欠けていた。おそろしく動きがのろいので、この目を引く視覚効果はほんとうに必要なのかと思ったことだろう。じっさい、わたしは当時マックOSXの本を書くとき以外は「リアル」の仕事はマックOS9を使いつづけていた。10.1が出てきたときでさえ、わたしは10.2が出るまではマックOSXには完全に移行することができなかったのだ。
だが「レパード」の状況はそれとはるかに違っている。マックOS10.5は万全の体制で望んだリリースで、家庭や仕事場で使う数百万からなるマック・ユーザを対象にしたものだ。なかにはこれがバグが多いともらす人もいると思うが、だいたいの人はおおむね満足しているようだ。とはいっても、世界中のマック・ユーザにはそれが妥当だと思ったときには声を大にして不満を述べる権利があるのだが。
ここに来る方はご存知かと思うが、レパードの後継となる「スノウ・レパード」は明らかに、フッドの下の改良の性格が強い。視覚的な変更はひじょうに少ないとみられる。「マイクロソフト・エクスチェンジ」への対応強化もないだろうし、たとえ「ファインダ」が「カーボン」から「ココア」に移行したとしても、その変更は視覚的に変える必要のあるものではない。ということはもちろん、そこには目立った視覚的な変更はないだろうし、そうしたところで歓迎されないだろう。まあ、それは昨日のコラムの話だ。
だからといって、アップルが秘密で多数の目立ったインタフェース変更を行なっている可能性がないというわけではないが、わたしはまずないだろうと思っている。ひとつには、いくつかの競争にまつわる大事な問題を除いては、開発者たちは自社の製品をテストするために、予定されているオペレーティング・システムのリリース候補版のすべての機能へのアクセスが必要だというのがある。
じっさい、スノウ・レパードの候補版は昨年のWWDCからプログラミング・コミュニティには提供されている。厳格な秘密保持契約には縛られているものの、一部の人が契約に目もくれずマックのウワサ・サイトに駆け込んで言いふらしているのはアップルにはわかっている。
アップルのサイトで読めるほかに、これまでに明らかになっている目立った問題として、リリース候補版はインテル・ベースのマックでしか動作しないように設計されていることがある。
もちろん、パワーPCの最後のモデルであるG5が落とされたのが2006年夏だったから、これ以上R&Dに資金をつぎこむほどの利益はない。あるのはごく一部のセキュリティとハードウェアのサポートといった問題くらいだ。
だがわたしがアップルにスノウ・レパードでもうすこし負けてほしいと言っている主な理由は、オペレーティング・システムがマックのハードウェアを販売するための手段という意味が強いからで、アップルはその利益の大部分をそこからあげているからだ。一部のメディア批評家には、アップルがマックOSXをPCクローンにはいっさい開放しないことで商機をのがしているという声も根強くあるが、そのような見え透いた作戦をしたところでアップルの売り上げや利益には凶と出るばかりで、現在の財務状況やこの会社sの価値を見積もってみれば誰にでもわかることだ。
これまでのところアップルはマックOSXのアップグレード版を売るとき、視覚的な機能強化の数がたくさんあることを売り文句に使ってきた。スノウ・レパードは修正版で、要はしつけが取り除かれ、体感速度がよくなった程度のことだ。まあたしかに、129ドル払ってそれだけの価値を得るというのも十分理由になるかもしれないが、マーケティングの視点からすればあんまり惹かれるものがないというのが本音だ。
それと、忠実なマック・ユーザにスノウ・レパードが無料でダウンロードできると宣言して、あるいはDVDが要る人には9.95ドルで発送しますと宣言すれば、これはなかなかの宣伝効果があるだろう。
それとくらべてたとえばマイクロソフトがウィンドウズ7でとった方法は、評判の悪かった「ビスタ」のリリースを体感速度を改善し安定性を強化したものとして提示されているものの、そこにはインタフェースの変更はいくつかある。それでもマイクロソフトはその強欲なやり方を捨ててしまうことはできない。というのは、マイクロソフトは半ダースほもある混乱をきわめるヴァリエーションを発表してしまっているし、たとえ価格が引き下げられたとしてもさほどの値引きではなかろうとわたしは思う。
もちろん、マイクロソフトはコンピュータ・ハードウェアを(入力機器以外は)売らないから、新しいオペレーティング・システムを負けてやるというわけにはいかないはずだ。できるだろうか? 結局のところ、ウィンドウズからの収入の80%がコンピュータ・メーカに売るライセンスから生じているのだ。このようなビジネス・プランでは、既存のPC利用者に安い値段でアップグレード版を提供するというやり方に変える必要が生じないのだ。
もちろんそんなことは起きないだろう。だがアップルには、スノウ・レパードを無料で提供すると宣言することで、マイクロソフトの裏をかき、揺さぶりをかけるというまっとうな理由があると思うのだが。こういうのはだめな考えだろうか?