「検索は鉛筆」

(This is a translated version of "John Battelle's Searchblog" blog post. Thanks to John Battelle.
わたしが決して忘れることのないであろう言葉に、アルタヴィスタの創業者ルイス・モニアが、「もうひとつのポータル」をめざした試作品を権利委譲したときもらした嘆きの言葉がある。彼はアルタヴィスタはただひとつのこと、検索だけに取り組み、それをうまくやるというアイディアに身を捧げた。だがアルタヴィスタがとった道のりの先にあったのは、ヤフー、AOL、ライコス、エキサイトをはじめとした90年代後半のポータルのけばけばしい絵の世界だった。
そうしているうちにやってきたのがグーグルで、2000年にはグーグルが最高のウェブ検索との名声を勝ち得ていた。そしてヤフーは最高のウェブなるものをすべて手に入れようと躍起になっていたが、グーグルに対し、ちょうどネットスケープが90年代半ばにヤフーに与えたのと同じものを与えてしまった。つまり、ネクスト・ビッグ・シングになるための最前列の席だ
おっと
これはツイッターフェースブックについてもはや皆の知るところとなった俗説への当てつけのようだ(わたしが最近なにかにつけ話題にしてきたように)。
フェースブックの人たちがウェブの歴史を知らないということはない。もうお気づきの人も多いだろうが、それにわたし自身前にも投稿したが、この二つの会社の関係は双方向的とは言い切れない。たしかに、あなたのツイートはフェースブックのステータス・アップデートに表示される。だがフェースブックのステータス・アップデートはツイートに表示されるか? いいや。
なぜか? それは、フェースブックツイッターに組み込んで使えるようになったとしたら、それはツイッターのエコシステムに餌を与えることになるから、じゃないかね? そうしてツイッターは正統化され、ツイッターの利用とトラフィックを加速させることになるのだ。ちょうどヤフーが2000年から2002年までグーグルを採用してきたことや、ネットスケープ1990年代後半にヤフーを採用してきたのと同じように。
フェースブックはようやく自分を取り巻く環境がややこしくなっていることに気づいた。そして提携関係を解消するのではなく、フェースブックはたんにツイッターを買ってしまおうとした。わたしたちはそのような風景を前にもなんども見てきている--ヤフーはインクトゥミやオーヴァチュアを買う前に、グーグルを買おうとしていた。
残念ながら、ツイッターよろこんで、申し出を断った。そのお返しとばかりに(それもすぐだった、自らの威厳にかけて)フェースブックは先週、ツイッターを買うことができないのなら、あくまで対抗すると事実上宣言した。
だがわたしには、うまくいくのかわからない。なぜか?
ツイッターは鉛筆だからだ。方やフェースブックは、フォトショップだ。いろいろとできることはある。だが鉛筆の機能はどこかへ隠れてしまう。それが主な用途ではなくなるのだ。
1997年、ヤフーはネットスケープフォトショップに組み込まれた鉛筆だった。2000年、グーグルはヤフーのフォトショップに組み込まれた鉛筆だった。いま、ツイッターはちょうど鉛筆にあたるのだ。
歴史はくり返すか? それはわたしが思うに、今年とくに興味深い問いかけのひとつではないか。
わたしはこの問いかけに答えるのに役立ちそうな比較表などを探し続けている--その規模の比較、提携当時の両者の成長率などは、とても、とても興味深いだろう。誰か研究をしている人で、わたしの調査を面倒みてくれる人はいないだろうか?