もしそのメッセージが大事なら、メッセージのほうがわたしを見つけてくれるだろう

(This is a translated version of "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
マシュウ・イングラムこのあいだ書いた投稿で、とあるマーケット調査者が大学生の言ったことばを引用したのを孫引きしていた。

もしそのニューズが大事なら、ニューズのほうがわたしを見つけてくれるだろう。

わたしたちは皆、ニューズや情報がソーシャル・メディア経由で配給される方法がだんだん変化してきているのを身をもって知っていて、この大学生が言ったことの意味は理解できるのではないかと思う。
だがわたしが思うに、メッセージングについても同じことが言える。あなたがたの多くがそうであるように、わたしもメッセージングのサーヴィスにはいろいろ参加している。イーメール、BBMツイッターフェースブック、インスタント・メッセージング、ブログ・コメントと挙げてみたのは一部にすぎない。
わたしに宛てられたメッセージをすべて読み通すことは不可能になってきている。なんとかして全部読もうとしているけれど、ある時点を過ぎてしまったものは、もう追いつくのをあきらめてしまっている。わたしが送られてきたメッセージを全部読めないことは自ら認めるし、それでもかまわないと思っている。
わたしの家族が使っているのはBBM(ブラックベリイ・メッセージング。よく知らない人のための注)で、これを「バットフォン」として使っていて、これはわたしにとってはまだ散らかされていない、メッセージやり取りのチャネルである。残念なことに、目下わたしのBBMのソフトウェアは自分の携帯では不具合があって、修理しなければならない。
だがBBMのほかに、わたしがこうしようと思って採っているアプローチは、「メッセージが大事なら、メッセージのほうがわたしを見つけてくれるだろう」というものだ。これはなかなか自由でいい。あなたたちの中にも、同じアプローチを採っている人がいるか、ちょっと興味がある。