ジューンHD: マイクロソフトによる箇条書きデザインがまたひとつ

(This is a translated version of "The Mac Night Owl" blog post. Thanks to Gene Steinberg.)
これはあまりにわかりきったことかもしれない。すぐれた製品をつくることでアップルと競うのではなく、マイクロソフトはいまだに「フォーカス・グループ」や「パワーポイント」のプレゼンテーションをつかって、競合の製品が備えていない機能を考案しようとしている。なにより困ったことは、それがその機能が望まれているか、使いやすいかも考えずに行なわれていることである。
アイポッドの世界へ対抗しようという今年の秋にむけた贈り物、すなわち「ジューンHD」を考えてみよう。いまやHDはハイ・ディフィニションのテレヴィジョンのことだとふつうに考えられているが、かつてはハード・ドライヴを指す略語だった。ところが、HDヴィデオへのサポートをしたと思いきや、マイクロソフトはHDラジオへのサポートも必要とされていると判断したのだ。たしかに、ジューンHDはマルチタッチ機能も備えてくるだろうが、これは最近ではありふれていることだ。
HDラジオ? そんなものは聞いたことがない? あってもなくてもいい?
まあ、知りたいという人のために言うと、HDラジオは標準の(地上の)放送に置き換わるかもしれない向上版のラジオのことだ。このテクノロジはこの数年で出てきたもので、アナログのAMおよびFMの信号へ、デジタルの部品を追加するものだ。そうなると、AMは突然FM並みの音で聞けるようになり、FMはCDに匹敵するほどの音質で配信できるようになる。
これはまったくけっこうなことだ。じっさい、合衆国中の数百か数千の都市の放送局が、すでに送信装置をHDラジオ対応のものに高額を払って乗り換えはじめている。問題は、少なくともいまのところは、じっさいはほぼ誰も聞いていないこと、障害が発生していることくらいだ。
だがそれより悪いことは、マイクロソフトは自社のマーケティング計画ではこれをまったく検討に入れていないということである。ほかの放送局との信号の干渉がありうるので、AM周波数のHD信号には夜間に送信ができないこともある。夜間に問題が発生することが一番多いのだ。そういうわけでアナログに戻ったきり、そのままになっている。さらに言えば、この信号はアナログで取扱われている放送地域と同じ範囲を十分に満たしていないかもしれないので、アナログからデジタルへと乗り換えるために最近アンテナを取り替えた人たちが、そのことに気づき始めている。
どうも私の目には、マイクロソフトがHDラジオをサポートするのは成功する見込みがあると思っているからではなく、アップルがそれをやっていないからのように見える。
初代のジューンを振り返ってみると、その売り文句はWi-Fiへのサポートだった。そのときアップルはその機能を追加したアイポッド・タッチをまだ出していなかった。ジューンはワイアレスのネットワーキングを採用したが、このガジェットの音楽を同期させるためではなく、楽曲を友達に送信するためだった。楽曲は厳格なDRMによってがんじがらめにされていて、3日間は聞けるがその後は消されてしまっていた。
いまでは、ほかのデジタル・メディア端末もFM受信機を内蔵してきている。これで少なくとも多くの人に親しまれているフォーマットをサポートしたことになるが、だからといってアイポッドに対抗するほどの販売の牽引力にはならなかった。もしどうしてもアイポッドにラジオの機能が欲しければ、そのためのアクセサリを買えばいい。ほとんどの人が使わないような機能にどうして余分に払うのか? それはHDラジオについても同じことが言えるし、それをどう正当化しようとしても空しいだけだ。
この分野は、アップルが競合相手より優位に立ってきたところである。そりゃたしかに、ウィンドウズのほうがいろいろな機能がついてくる、コントロール・パネルでのカスタマイズならすぐれているかもしれない。だがそれも大半はふつうの人にしてみれば混乱させられる原因なのだ。もしあなたがどうしてもマックを基本設定からカスタマイズしたいのなら、グーグルで検索して、ターミナルの操作を自由に選んでみたり、その手の本を買ってみたり、あるいは豊富なサードパーティのアップスをどれかダウンロードして、シンプルなグラフィカル・インタフェースで自分の必要なものを選べばいい。
製品に機能を追加するのはそんなに難しいことではないと思うよ。むしろ、機能が多すぎるというのは、正しい使われ方をしっかり考えておかなければ、ただ使いにくいだけになってしまう。製品エンジニアリング・チームは第一に、なにより優先して、なにを取り除くべきか決める必要があるはずだ。これはある意味で、記事や本を編集するのと似ている。必要のない飾り物を捨て、全体がひとつのまとまりに収まるように凝縮させていくのだ。ふたつめに大事なことは、新しい機能が、既存の機能といちばんうまく統合するような方法を見つけ出すことで、そうするためには仕上げにかける時間を余分に要することもありうるということだ。
アップルはだいたいにおいて、このコンセプトを前提とした会社の文化があるように見受けられる。もちろん、ときどきは失敗もするし、バグの修正や定期的なアップデートが必要となることもある。たしかに、アップルはこの数年間は、ハードウェアやソフトウェアを発売する時期が早すぎたということも一部にはあり、そのせいでアーリイ・アダプターの人たちを失望させることもときにはあった。
だがマイクロソフトは、ジューンの経験からほとんどなにも学ばなかったようだ。かれらは既存の製品を真似してもうまくいかず、余分な機能をひとつかふたつ載せてきたり、それで大げさにも成功を期待したりするのだ。ウィンドウズをはじめとした生産性のアップスについては成功したと言えるかもしれないが、このコンセプトはコンシューマ・エレクトロニクスの第一人者になろうという取り組みには役立たなかった。
わたしの感じでは、これで世間を騒がすということにはならないだろう。世界はジューンHDを必要としていないし、たぶんHDラジオも必要としていないのだろう。だがマイクロソフトがその意味を理解するまでには、まだまだ多くの惨めな失敗をくりかえすことになるのだろう。