オープン・プラットフォームとイノヴェーション

(This is a translated version of "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
ティーヴン・ジョンソンが書いた今週の「タイム」誌の記事が、わたしの気に入った。ゴサム・ギャルにも昨晩それを話したら、彼女は「うん、でもあなたさっきもツイッターで言っていたし、昨日は3回もツイートしていたじゃない」と答えた。
わたしたちのポートフォリオ会社(ツイッター)についての記事があって、そこに「教育のハッキング」イヴェントについて書かれていたら、わたしが興奮するのも自然なことだとあなたがたは思うかもしれない。だが正直に言えば、この記事が今朝になってもわたしの頭をぐるぐるさせているわけは、そこではないのだ。
ティーヴンの記事の締めくくりでは、「エンド・ユーザのイノヴェーション」について語られていて、これがとくにすぐれていた。「現代のイノヴェーションの、見逃せない要点」であると彼は言っている。

イノヴェーションやグローバル競争力について語るとき、わたしたちは特許だとか博士号だとか、安易な軸にものごとを収めてしまいがちである。これらの合衆国のシェアは70年代前半に頂点に達してからずっと、減少をつづけている。(1970年、世界中の理学と工学の学位の50%以上は合衆国の大学から発行されたものだった)。80年代中ごろから、特許および博士号ビジネスにのこえる市場シェアが減少していることが、アメリカのイノヴェーションに暗黒時代を呼び込みかねないと警告を発する人たちが絶えない。現実の脅威はべつのものに変わったのだ。80年代にわたしたちを打倒しそうになったのは日本で、いまは中国やインドである。
ではこのあいだ、実際にアメリカのイノヴェーションに起こったことは何だったのか? アメリカ・オンライン、ネットスケープ、アマゾン、グーグル、ブロガー、ウィキペディア、クレイグズリスト、ティーヴォ、ネットフリックス、イーベイ、アイポッドとアイフォン、エックスボックスフェースブックツイッターがやってきた。たしかに、わたしたちはプリウスWiiもつくっていないかもしれない。だがグローバル・イノヴェーションを実際のライフスタイルに照らし合わせてみれば--単に大学院生の数ではなく、ヒット商品を出しながら、合衆国はこの20年間、この分野では飛び抜けていたはずだ。

これこそが、わたしを興奮させ、来る日も来る日もくじけず先に進ませているものごとなのだ。テクノロジは発展し、誰もがイノヴェーションに参加できるようになった。特許や博士号は前ほど大事でなくなった。なにかを思いつき、それをコーディングすることが、最近ではほとんどすべてになっているのだ。
エリック・フォン・ヒッペルが言うところの「エンド・ユーザのイノヴェーション」にわたしたちは深く関わっていて、それは社会が進歩するのと同じように、本質的な変化なのだ。ツイッターの創業者たちはまさにその典型例だ。彼らはショート・メッセージを共有するためのシンプルなツールをつくり、それがこれまでなかったようなものに化けたのだ。スティーヴンはこのように言う。

トースター・オーヴンを発明したと思っていたら、1年後気づいてみれば顧客のほうでそれをマイクロ波に変える方法を自分でみつけてしまっていた、というような話である。

わたしのトースターにも同じことが起こってくれたらと思う。わたしが「あったらいいな」を書くたびに、誰かがつくってくれるので、マイクロトースターがそのうちできあがってくるのではないかと期待している。