なぜコメント欄は大事か

(This is a translated version of "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
わたしは今日の午後ポルトロス・スロヴェニアのプールに座っているとき、興味深いことがあった。ゴサム・ギャルが「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」週末版のクロスワードを終えたので、わたしはそれを受け取ってオピニオン欄を読んでみた。ページのトップにあったのは、ダグラス・ベイリイという男によるオピニオンだった。かれはDBメディアストラテジーズ社長で、記事のタイトルは「この記事にコメントすべからず」だった。これは先週のボストン・グローブからの転載だった。これをクリックすれば、このオピニオンを読むことができるが、わたしが要約しておこう。

わたしは、閉鎖すべき意見発表の場がひとつあると結論を下した。つまり、新聞ウェブサイトの記事の終わりにあるコメント・フォーラムである。
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このフォーラムは、それとは気づかれないようにしてジャーナリズムの評判を落とそうとしている。真実をぼかし、問題を混乱させ、真面目な議論をはぐらかしており、これではあの忌まわしいトーク・ラジオよりもたちが悪い。
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解説記事がこのような水準では、新聞が本来誇りにするべき売り物が自ら品格を落とし、評判を落とすことになる。

ちょうど同じときに、わたしはマシュウ・イングラムのツイートを見つけた。かれは新聞産業についてブログを書きつづけている。かれのツイートはこのようなものだ。

すべてのブロガー、あるいはそれにかかわるジャーナリストは、読者としっかり向き合うためにはどうすればよいか、@fredwilsonに見習うべきだ http://bit.ly/15TtoO

それからもうひとつ、ジョナサン・ランドマンのツイートも見つけた。かれはニュー・ヨーク・タイムズの副編集長で、同僚のティム・オブライエン(NYタイムズ日曜版のビジネス欄の編集者)のツイートをリツイートしたのだ。

RT@TimOBrienNYT: @fredwilsonの投稿は読んでおく価値がある。コメント欄ではめずらしいほどに、ニューズに課金する方法について、知的な議論がなされている http://bit.ly/PTZHR

このようなことが、ほとんど1時間くらいのあいだに一気に起こったのは奇妙なことだ。だがそれは起こったのだ。
この4人の人たち、ダグ・ベイリイ、マシュウ・イングラム、ジョナサン・ランドマン、ティム・オブライエンは皆ジャーナリストか元ジャーナリストだ。そしてかれらはコメント欄について意見を述べている。かれらが知的な議論をしているか、またかれらがジャーナリズムに属しているかはともかくとして。これは議論するだけの価値があることだ。というわけで、議論しよう。
単にコメント欄をニューズ記事の終わりにつけ加えるだけでは、いざこざの元になることにはわたしも同意する。だがこれがいざこざの元になるのは、あなたがどうするかにかかっている。手入れの行き届いていないコメント欄は、ゴミだらけになるだろうし、じっさいそうなっているところが多い。
だがニューズ記事、オピニオン、またはブログ投稿の記者がコメント欄に現れ、よいコメントには返事をし、悪いコメントには警告をし、偉そうに大口をたたくやつを懲らしめ、真面目な議論のグループを扱うようにしてコメント欄を運営していけば、真面目な議論はできるようになる。
コメント欄へ登場するのがジャーナリスト本来の仕事とは異なるというのが、新聞産業の問題である。だがそれは差し迫ったことであり、かれらは忙しくともそれに取り組むべきだと思う。これに取り組み、うまくやったジャーナリストは、これまで以上に読まれるようになるだろう。そうすれば、情報もこれまで以上に入ってきやすくなるのだ。コメント欄で、いろいろなヒントを得ることもできる。建設的な批判を受けて、それをもとに自分の仕事をよりよくすることもできる。ニューズ記事のリードもほかの人よりも早く紹介してもらうことができる。
これを理解したいと思ったら、このブログのコメント欄にときどき足を運ぶことだ。かれらこそ、このブログでもっともすばらしい存在である。わたしも一生懸命、そうなるように努力した。わたしのほうも助けてもらった。ディスカスのコメント・システムは、わたしたちのポートフォリオ会社「ディスカス」が提供している。これは長い目でみて、市場にあるなかで最高のコメント・システムである。これを使うと、どこにいても、いつでもわたしが参加したいとき、参加する必要があるときに参加できる。それから、さまざまなソーシャル・プロファイルからかんたんにログインでき、認証を受けて、そのうえで参加することができるのだ。
ここのブログにコメントしてくれる人にはたとえば、わたしの兄弟であるジャクソン、キッド・マーキュリイ、などがいるが、かれらは「用心棒」の役割をしてくれた。かれらはコメント欄を取り締まる役割をしてくれて、対話が民主的で志の高いものであるように見張っていてくれる。そしてなによりもわたしが助かっているのは、自らルールを理解し、たとえそれがどこにも書かれていなくても、それに従ってくれるコメント者がいることである。
というわけで、わたしからジャーナリズムの世界の人へアドヴァイスすると、ダグラス・ベイリイのアドヴァイスは見なかったことにして、コメント欄をニューズ記事の終わりにつけておくべきだ。だがそうするだけでは十分ではない。あなたはできるかぎり最高のコメント・システムを使うべきであり、それはたとえばディスカスのようにサード・パーティからのものであるはずで、CMSヴェンダーからのものではないはずだ。そしてあなたは、部下のジャーナリストたちを積極的に議論に参加させるべきだ。これをすべて行なえば、ニューズ記事の終わりにすばらしい議論の場を設けることができる。誰がそれをいやがるだろうか?