ダブル・ダウンを使おう、ただしそうすべき持ち手のときだけ

(This is a translated version of "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
先週末、わたしたちはスロヴェニアの海岸で「カジノ・ロワイヤル」を見た。ちょうどこの映画の舞台になっているモンテネグロアドリア海岸のすぐ近くだった。わたしが好きなのはポーカーのテーブルの場面で、とくにボンドがむきになって、持ち金ぜんぶはたいてしまう場面だ。
そして、わたしは友達のジェーソン・カラカニスの書いた投稿「ヤフーは今日、切腹を図った」を読んでいるときに、この場面のことが思い出された。ジェーソンはもの書きとしてもすぐれていて、この投稿はかれが最近書いたなかで、もっともすぐれたものだ。わたしがとくに好きなのはこの部分だ。

あなたが持て余しているものを誰かが欲しがったときの正しい行動とは、それにもっと投資することだ。「ああ、あなたはわたしの家がお気に入りですか。それならあなたはわたしが払った額の倍は払ってくれますよね? 言いましたっけ、ついこないだキッチンを造りなおしたんですよ。それと、隣のうちの駐車場も買い取ったし、新しくHVACシステムも導入したところだって?」いまあなたはいくらまでなら払いますか? というのはチンピラCEOぐらいの程度のポーカー・プレーヤーだ。あなたはカードを引くたびに賭け金をつりあげて、価値をあげるべきである。

ジェーソンはポーカー・プレーヤーとしてもすぐれていて、持ち手が最高になるまでダブル・ダウンをつづけるべきだという、かれの言い分は正しい。だがかれのヤフーと検索についての言い分は間違っている。
そうすべき持ち手のときにダブル・ダウンをつかうべきであって、ヤフーが検索の持ち手についてとったやり方は勝ち逃げしようというねらいではなかったはずだ。わたしはグーグルが「ウェブ検索ヴァージョン1.0」のゲームで勝利し、残された椅子は第2位しかないと思っている。ヤフーとマイクロソフトはその第2位をふたりで分けることに同意したのであって、互いにつぶしあうために戦おうというのではない。
先週わたしたちは検索エンジンをひとつ失ったが、だがもうひとつを手に入れた のだ。これは期待のできる兆候である。検索にはこれから掘り当てるべき鉱脈がのこされており、それこそがこれから賭け金を上げていくべきところである。これ以上グーグルと張り合うようなことはしたくないだろう。新しい挑戦の方法をみつけたほうがいい。
ジェーソンはそれにつづけて、ヴィデオゲーム市場についても話している。かれはこう言っている。

ニンテンドーは、マイクロソフトがヴィデオゲームの分野に進出してきたときもあきらめず、イノヴェートした。いまやWiiはXB0Xの3000万ドルを引き離し、5000万ドル売っている。これがマイクロソフトとの戦い方である。イノヴェートすることだ。スティーヴ・ジョブズはそのことをよく知っていて、ニンテンドーもそれをよく知っている。オラクルもそうだ。だがヤフーはどうも、40年にわたる教訓を知らないでいたらしい。

だがニンテンドーは今週、そうとう悪化した四半期決算を発表したばかりである。Wiiの販売は、昨年同期の520万ドルから220万ドルまで落ち込んだ。
ヴィデオゲーム市場における競争のヴェクトルは、コンソールからモバイルやソーシャル・ネットへと移ってきた。ビング・ゴードンはエレクトリック・アーツで26年つとめたあと、2008年にクライナー・パーキンズにジェネラル・パートナーとして加入した。ビングはヴィデオゲームについてはひと言、ふた言くらいは言い分があるだろう。かれがKPではじめに行なった投資はふたつあり、ソーシャル・ゲーミングを主導している「ジンガ」とアイフォンのゲームを主導している「ngモコ」である。このふたつは投資として成功することだろう。ビングはかれらにつぎ込むにあたって、新しい競争のヴェクトルを採用したのだ。それがヴィデオゲームにおけるダブル・ダウンのやり方だ。
というわけで、わたしはジェーソンの言い分に賛成する。タオルを投げるというのは、すぐれた会社をつくるときのやり方ではない。だがその市場に揺るぎない主導者がいて、差別化すべき戦略も持ち合わせていないのに競争するのも、やはり勝つ見込みのない手である。
もっとも、ジェーソンはそのこともよくわかっていて、かれの運営する「マハロ・アンサーズ」は検索というゲームにおけるもうひとつのヴェクトルであり、それはヤフーが勝ち手としてとっておいたヴェクトルである。そうして、ジェーソンのポーカー・ゲームはそこで行なわれるというわけだ。これからどうなるか、見て行くのが楽しみである。
情報開示: ゴサム・ギャルとわたしはマハロに個人的に小額出資している。ゴサム・ギャルとジェーソンは90年代にシリコン・アレイ・リポーターズでパートナーをしていた。