外向的であるということ

(This is a translated version of "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
昨日の午後わたしは48歳の誕生日を祝い、夏休みのしめくくりに、息子と一緒にゴルフを9ホールまわってプレイしてきた。8番ホールは、509ヤードの右曲がりドッグレッグだが、わたしはドライヴでかっ飛ばしたところ、グリーンが十分圏内に入った。自分のボールに追いついて、わたしはキャディーに6アイアンを渡してくれと言ったが、かれはわたしを見て首を振った。かれはこういう。「機会があるのなら、ぜひやってみるべきですよ」それでわたしは3番ウッドを手渡してもらい、230ヤードのショットを弾き出した。ボールはグリーンまであとちょっとのところで着地し、ホール右側にそれていき、6フィート超えたところで止まった。そこでわたしはいつもやってしまう失敗をしてしまい、ホールの縁をかすったが、飛び出してしまった。1回で戻して、バーディーとなった。3番ウッドのショットに気をよくしたわたしは、8番ホールから9番ホールへ歩く途中バッグからごそごそ取り出して、ツイッターこのメッセージを送信した。

イースト・ハンプトン8番ホール(ドッグレッグでパー5)でドライヴァー、3番ウッドで6フィートまで寄せたけれど、イーグル・パットを逃してしまったよ

すると友達からいくつか返信が返ってきて、携帯をバッグに置いとくように言われた。
@fredwilson 携帯は置いといて、ゲームをプレイしようよ! - プランクマン
それと
@fredwilson まあなんというツイートだらけのゴルフ・ラウンドだ - 僕はまねしちゃいけないな:-) - マット・ブルームバーグ
その前の日、わたしは友達のオフィスで腰掛けながら、かれにフォースクエアのことを紹介していた。わたしの友達はたまたまニュー・ヨーク・シティで素敵なレストランをいくつか経営していて、かれのレストランにどうやって「チェック・イン」したかを実演して見せていたら、かれはレストラン・ビジネスにおける携帯電話の影響の話をはじめた。かれがわたしに言っていたのは、携帯電話は置いといて、友達と一緒に楽しい食事と会話を楽しむのが好ましいということだった。
携帯を置いて昔ながらのやり方で暮らしを楽しむべきという点で、わたしはクレイグにも、マットにも、その友達にも同意する。わたしのブラックベリイはラウンドの最中はほとんどバッグのなかに入ったままだ。わたしはめったに3番ウッドで230ヤード以上飛ばして6フィートまで寄せるなんてことはないからだ。それに夕食会のとき、携帯はポケットに入っている。レストランをフォースクエアに「チェック・イン」するのは、ドアを開ける前にしておくようにしている。
それから、たいていの人は、ゴルフの成果についてツイッターに書いたり、レストランをフォースクエアにチェック・インしたりはしないだろうということも理解している。わたしがしているように「ライフ・ストリーム」することを誰もが好むわけではない。
だがけっこう多くの人はそうしている。ウェブで外向的になることは、ますます広がりつつある現象である。わたしの子供たちはフェースブックでソーシャル・メディアの経験を積んできたので、ブログ、ツイッターなどのパブリックな(公開を前提とする)ソーシャル・メディアをつかうのには気がひけるらしい。だがかれらは自分たちの世代においても、パブリックで情報を共有することをだんだんと受け入れるようになっている。
これはフェースブックにとってもよい知らせだろう。フェースブックはいま、最小限の情報は共有モードにしてサーヴィスをパブリックにしようと取り組んでいるところだからだ。わたしはこれはけっこううまくいくのではないかとみている。
それから、モバイル・ウェブがこのような行動をしやすいほうへと導いているようなところがある。わたしはこれまで35年くらいにわたってゴルフをやってきた。これまではすごいショットを打ったとき、せいぜい数人の友達に伝わるくらいのものだった。だが昨日は、そのニューズを30,000人近い人たちと共有したのだ。ほとんどの人はたいして気にも留めなかっただろう。だがフォロワーのなかにはそれに関心をもってくれたことを、わたしは知っている。友達のスティーヴン・ジョンソンはこのツイートを見てにっこりしてくれただろうと思う。
もしあなたがどこかへ出かけて行って、なにか特別なものを見たり、特別なことをしたときは、人に知らせたいと思うものだということは、事実だ。そしてこれまでよりずっと多くの人たちが、それをしているということも事実だ。わたしは今朝、自転車乗りに出かけている途中、一息つく場所に来たとき、よし、そうしようと思った。それはわたしがお気に入りの素敵な場所で、それを人と共有したいと思ったのだ。その写真を載せておこう。さいごに一言つけ加えると、このような外向性がうまくいったときは、わたしたちの暮らしにちょっとした楽しみをもたらしてくれるものであるし、喜ぶべきことだと思う。