フレッド・ウィルソン、ユニオン・スクエア・ヴェンチャーズ

(This is a part of translated version, of "Bits Blog" post. Thanks to Nick Bilton.)
フレッド・ウィルソンは、ニューヨークのヴェンチャー・キャピタル法人「ユニオン・スクエア・ヴェンチャーズ」のパートナーだ。1990年代後半、彼は「ジオシティーズ」が数十億ドルでヤフーに売却されたとき、そこに携わり金塊を掘り当てた。それから、ウィルソン氏の法人は数多くのビッグ・ネームのウェブ・ブランド、たとえばミートアップ、ツイッター、フォースクエア、ジンガ、アウトサイドイン、エッツィなどに投資してきた。ウィルソン氏とワン・オン・ワンで対話したものを編集して以下に載せよう。
ニック・ビルトン: あなたはヴェンチャー・キャピタルのビジネスにどのくらい関わってきているのですか?
フレッド・ウィルソン: 始めたのは1986年で、わたしが25歳のときです。
そのときに最初の投資を行なったのですか?
いいえ、わたしが最初の投資を行なったのは1991年のことで、5年後です。ヴェンチャー・キャピタルのビジネスはどこか徒弟奉公的なビジネスで、わたしが勤めた法人はわたしが30歳になるまでは投資に参加させてくれませんでした。これはたぶん、とても利口なことです。
最初の5年間はなにをしていたのですか?
わたしがその法人に入社したとき、そこはとても遅れたところでした。コンピュータも使っていなかったのです。オフィスにあるテクノロジといったら、ファックス機だけでした。わたしはPCを導入したり、ネットワークのセットアップの役割をしました。投資の事務作業もしました。
1991年の最初の投資はなんだったのですか?
わたしの最初の投資は「ソフトウェア・ディヴェロッパーズ・カンパニー」という会社でした。わたしたちはその会社に500万ドルをつぎ込みましたが、成果のあがらない投資でした。しかし2番目の投資はずっとよい成果があがりました。
投資が成功して、あなたは「やあ、俺はなかなかできるでじゃないか」と思いましたか?
数年間は自分がよい投資者であるとは思いませんでした。2001年あたり、ソフトウェア・バブルがはじけたころは、生き残りをかけて精一杯でした。でもこの状況から抜け出したのが2003年で、そのころにはほんとうに自分の力でビジネスをやったという実感がありました。
あなたは25歳で投資をするのは若すぎるという考えに同意されましたが、あなたは非常に若いアントレプレナーが経営する会社に投資していますね?
それはまたべつのことなのです。若いアントレプレナーのすばらしいところのひとつは、なにが不可能なことのか、知らないことです。だから彼らは途方もないことに手を出して、たいていは結局その手を引っ込めるわけです。しかし、途方もないことというのは、投資する話になると、すばらしいことだとは思いません。
バブルがはじけたとき、コンピュータ関連のヴェンチャーは終わったと思いましたか?
いいえ、そうは思いませんでした。わたしはその前にもバブルがはじけるのを2回経験しています。PCハードウェアのバブル、ソフトウェアのバブル、バイオテックのバブル。どれも80年代中盤と90年代にはじけました。2001年のときは、投資が過剰な騒ぎになっていたので、バブルがはじけて市場が調整期に入るのは避けられなかったでしょう。
わたしたちはこんど、モバイル・バブルに向かおうとしているのでしょうか?
まだでしょう。いまのところモバイル・バブルが起きているという風には見ていません。どうしようもなく馬鹿げたことというのは起きていないからです。いまのところ。アップルやグーグルがモバイル・マーケットに過剰な資金が集まりそうなときは抑制しています。たとえば「クアトロ」や「アドモブ」の買収です。でも過剰にリスクの高いモバイルへの投資が起きているとは見ていません。いまのところ。
「いまのところ」と強調されていますね。
ええ。いまのところ。そのうち起きてくるとは思います。金融にまつわる仕事をしていると、それがわかるのです。いつかは、馬鹿げたものごとが起きてきます。
あなたが初めて大型の売却に関わったのは「ジオシティーズ」ですね?
はい。1999年後半のことです。
この売却は30億ドルから50億ドルといわれています。あなたはそこで大金を手に入れたのですか?
この売却の前に、わたしたちは完全に破産していました。ニューヨーク・シティから引っ越す必要がありました。高すぎてシティには住めなくなったので。うちには3人の子供がいて、住宅ローンの支払いにも追われました。
実質は破産していた、と。
ええ、完全に。ジオシティーズの売却が実施される前、わたしの妻は食品の買い出しのためにキャッシュ・マシーンに行きましたが、わたしたちの口座にはまったくお金がありませんでした。わたしは妻に、食品をクレジットで買うように言いました。次の週にはジオシティーズが売却されることがわかっていたからです。でもその前は、かろうじて生き延びたのです。
ニューヨーク・シティで投資者になったきっかけは?
わたしは恋に落ちて、いまの妻のいるニューヨークにやってきたのです。マサチューセッツ工科大学でエンジニアリング、ソフトウェア開発を学びましたが、ニューヨークにやってきたとき、ソフトウェアの仕事はありませんでした。そこでとっさに思いついたのは、ニューヨークは金融の町だということで、わたしはビジネススクールに進学することを決め、金融の学位を取りました。エンジニアリング、ソフトウェア、金融を組み合わせれば、なにかおもしろいことができそうだと思ったのです。
ウェブの世界がこんな風に飛翔をとげることを思い描いていましたか?
あまりの変化の早さに、わたしたちは驚いていたと思います。ユニオン・スクエア・ヴェンチャーズを2003年に設立したとき、わたしたちはこの産業がいまのように巨大になるとは思い描いていませんでした。モバイル、ソーシャル、ロケーションといったウェブの分野にまたがって、ビジネスは人々の毎日の生活にすっかり浸透してきました。
ロケーション・ベースの会社、たとえばフォースクエアなどは新しい時代のコンピューティングですか?
フォースクエアは2つの意味でとても大事なことを成し遂げました。1つめは、ウェブに「チェックイン」という言葉をもたらしました。ツイッターがウェブにもたらした言葉は「ステータス・アップデート」です。2つめは、フォースクエアだけでなく、ゴワラなどのロケーションの会社もそうですが、それが最初からロケーションのツールからつくられていったということです。これが大事なのは、プライヴァシは大きな問題だからです。人々はチェックインの情報が誰に対してまで共有されるのか、とても気にしていますし、プライヴェートにしておきたいと考えます。ロケーションに特化して開発されたソーシャル・ネットワークはユーザによって育てられてきたものといえます。
もし2つの投資先が競合するようなことになったらどうしますか?
平凡な言い方ですが、わたしたちはポートフォリオ会社に関する方針を大っぴらに話すことは避けています。それから、できるかぎり競合する会社に投資しないように努めています。
会社の売却を決断するのはどんなときですか。それから、ビジネスとして拡大することを決断するのはどんなときですか。
大きな収益をあげるビジネスは、アントレプレナーの力に大きくかかってきますし、わたしたちは彼らの決断に沿うように努めています。しかし、会社が持続可能でないときは、口出しもしなければなりません。彼らの頭に銃を突きつけるようなことはしませんが、さほど遠くないようなことをしています。
あなたが投資をするとき、より大事なのは会社ですか、アントレプレナーですか?
どちらかしか選べないということはないと考えています。画家と絵画の関係のようなものです。たとえば「タンブラー・コム」の話をしましょう。わたしたちは創業者のデーヴィッド・カープに会う前にタンブラーに目を付けていました。じっさいに彼に会ったとき、その会社全体のことがよくわかりました。人とプロダクトのあいだに納得のいく関係が見いだせたとき、それがわたしたちの投資したいと考えるときです。
あなたはとても成功しているブログを運営していますね?
ええ。AVC.comです。ブログは毎日欠かさず書いています。
ブログはどのようにして始めたのですか?
何年か前、ニック・デントンの家でカクテル・パーティがありました。そこにムーヴァブル・タイプの創業者が来ていました。彼らからブログを書くようにすすめられました。そこでわたしは家に帰って、ブログをセットアップして、ブログをはじめたわけです。
なぜAVCという名前なのですか?
その朝、座って考えたんです。うーむ、わたしは何者だろう? そして思い浮かんだのが、わたしはとあるヴェンチャー・キャピタリストだ。つまり、わたしはAVCだ、ということです。
ブログは投資に役立ちましたか?
それはもう。ブログがなかったらVCをやってこれたか、わかりません。そこではアントレプレナーのハートとマインドが必要とされます。そして、それこそが投資者としてわたしたちに欠けてしまいがちなことなのです。それはお金のためではありません。(つづきを読む)