フェースブック・アップ経済: リヴァイヴァルのときか?

(This is a translated version of "John Battelle's Searchblog" post. Thanks to John Battelle.)
覚えている人はいるだろうか? 2007年はフェースブック・プラットフォームへのすさまじいゴールド・ラッシュがあって、当時は産業の誰もが、率直に言って、ほんとに、誰もが「あなたがたの、フェースブック・プラットフォームへの戦略は?」という問いかけに答えるのに忙しかった。
そりゃ、わたしもそうだった。FM(フェデレーテッド・メディア)でも、この問題に対応するためのミーティングをひらき、わたしが提案することもあり、それがスタッフだったり上級役員だったりすることもあり、そしてもちろんわたしたちの投資者であることもあった。かれらは自分のポートフォリオ企業すべてに同じことを問いかけていた。(ついでに、信じられるだろうか、フェースブックがプラットフォームを始動したとき、ユーザは2000万人しかいなかっただなんて?!)
幸運なことに、わたしたちの「フェースブック戦略」は、これまでのことをすべて捨て、新しい環境にむけた開発しはじめるというようなものではなかった。尋常ならざる騒ぎもあったが、わたしたちは分別あるアプローチを採り、数少ない勝者(たとえばグラフィティ)と仕事で組んだし、事態がどう展開するかをじっくり見定めてきた。
それから数年がいとも早く過ぎたいま、当初のフェースブック・プラットフォームをてこに実りある価値を生み出すことができたのは非常に限られた企業(ジンガやスライドが浮かぶ)だったことが明白である。だが、あれほどにレースに身ごと投げ込んだわりにはプラットフォームへと注がれた総エネルギー量がどれだけの実質ROI(投資収益率)を生み出したのかはわたしには不明だ。
ところで、今年の「f8」の壇上で発表された「オープン・グラフ」から3か月が経ったが、わたしはいまでも考えてみる。あれだけあったウェブ・ベースのフェースブック・アプリケーションやサーヴィスはどこへ行ったのだろうか? フェースブックが大きな機会を勝ち取ったのは、「ライク」(「いいね!」ボタン)を多くの人に受け入れさせたところにあるように思われる。だが、ディヴェロッパやすぐれた新しいアイディアはどこへ行ったのだろうか? わたしはなにか見落としているだろうか? フェースブックはグーグル、アップル、マイクロソフトと同じように、ディヴェロッパの魂と財布を当て込んでいくことになるのだろうか?
わたしに言えることを言うと、フェースブックのプライヴァシ問題は次のゴールドラッシュと思われたものごとが形成されるのを遅らせた。だが、わたしはなにも「ライク」を採用したパブリッシャーのことを言っているのではない。わたしが言おうとしているのはまったく新しい、再構築されたウェブおよびモバイル・サーヴィスのことで、これらはフェースブックから得た独自のデータ・フィードをてこにまったく新しい価値を世界にもたらそうとしている。わたしたちはすでに、ツイッターのエコシステムにおいてこれに相当するものを見てきた(もっとも、それはわたしたちが今後見るだろうものごとほどではない)。しかしフェースブックの場合は、いまごろもっとすごいクールなサーヴィスがいくつも出てくるだろうと期待していた。でもいまのところ、それはひとつも出ていない。
もう一度言おう。わたしはなにか見落としているだろうか? フェースブックAPIをつかって、あなたはなにを計画しているのだろう? なにを実現したいと思っているのだろう? 4月にf8での発表があったのに、まだそれが実現できていないのだろうか。