finalventさんに学んだこと

考える生き方

考える生き方


finalventさんの本を立ち読みしてきた。
ごめんなさい。まだ買っていないのに書評めいたことを書くつもりはありません。
ただ、いま感じたことを、いま書いて残しておきたいので。

finalventさんがどんな人なのか知らなかった。
本を読んで、これはすごい本だと思った。
でも、すごい人だとは思わなかった。

彼はいつも控えめで、自己主張ととれるようなことをほとんど書かない人だ。
すごいことを書く人だと思いながらも、彼がどんな人なのかはあまり気にならなかった。
繰り返すが、本を読んで、finalventさんがすごい人だとは思わなかった。
でもたしかに、すごい本だ。

なにがすごいのか、うまくいえないのだが、
とにかく読むのに時間がかかる。
そんなに長い本でもないし、文字も読みやすく印刷されている。
だが、いちいちずっしりと言葉の重みがのしかかってくるので、
先を読みたいと思いながら、なかなか読み飛ばせないのだ。
結局、何時間かかったのか、時間の感覚を失った。

もし土曜日の夕方でなければ、大事な仕事を逃すところだった。

たぶんこの拙文を読む人なら、finalventさんのことを知っているんじゃないかな。
そして彼がどんなことを書く人で、どんなことを書かない人かはたぶん見当がつくだろう。
だから、読んでみても損はないですよ、と言っておきたい。

わたしは読んで、損どころか、そもそも得ってどんなことか忘れるほど衝撃を受けた。
いちばん衝撃を受けたのは、finalventさんの子どもの話。
そうだったのか。

もうひとつ、衝撃を受けたことがある。
ヨブ記」だ。
やっぱり、というかfinalventさんのブログやツイッターを読んできて5年、
彼がやはり「ヨブ記」を読んでいることを知って、衝撃を受けた。
旧約聖書の目立たないところに収まっているこの話を、自分の身の上話につらねて書ける人をわたしは知らない。
じつを言えば、わたしも「ヨブ記」を読んでいる。
だが、それを書くことはできないでいた。
なぜかはわからない。
思うに、自分の宗教的背景を世の中に明かすのは、細心の注意を要する。
といってもただ、そういう学校に長く通ったというだけだが、自分はなかでもかなり深入りしたほうなので、
finalventさんほどでないにしても、20才ごろに自分がひとりで読み、考えたことの「癖」みたいなものは自覚がある。
それを人前に出すと疎まれる、ということも一応、自覚がある。
だが、ブログでは書けないことだと思っていた。
いまでも書けないことだと思っている。
だが、見せ掛け上、finalventさんの本を読んで思ったことを書いて、お茶を濁してもいいかな、と。

話を戻すと、これはすごい本だ。
冗談抜きに、わたしのこの拙文を読む暇があったら、
それを使ってfinalventさんの「考える生き方」を読んだほうがいい。

そこにはひとつの人生があるし、
自分がひとつの人生を生きている、生きていく、と思う人なら誰でも読める。
人生ってなんだろ、と漠然に思うくらいなら、「考える生き方」を読むほうがいい。
お金はかかるが、損はないと思う。

夏目漱石の49才の話。
山本七平の55才の話、吉本隆明の話、デカルトの話、その他いろいろある。

本を読む人には身近だと思うが、本を読まない人には身近ではないだろう。
でもfinalvent先生にとって、これらの先生たちが生きた年齢は、
本を読む読まないを超えて、ひとの人生だし、有名でも無名でもそこには年齢がある。
年齢を重ねるってこういうことなんだな、とわたしは思った。
finalvent先生の年齢になるまで自分はまだ長いが、
彼が後生畏るべし、と引用した後生にあてはまるくらいの年齢にはいる。
たぶん、わたしは書き続けてもfinalvent先生の領域にも追いつかないと思う。
だが、書き続けたいと思った。

わたしは一人の翻訳者で、それ以上でもそれ以下でもない。
自分のことを語るより、人のことを語るほうが好きだ。
そして、finalventさんもたぶんそうだと思う。

自分の話ばかり語る本が嫌いな人でも、finalventさんの話にはすんなり入っていける気がする。