1994年のイールドカーブとイタリア国債

ロンドンの米系投資銀行に勤務するあるスワップ・ディーラーによれば、「LTCMは生意気な連中の巣窟だった。そうした中でビクターはこの世で一番とも思われるほど紳士的かつ温厚な性格の持ち主だったが、それでも彼の意思は非常にはっきりとしていた。私は彼が少しでも動揺するところを見たことがない。しかし、彼に何か気にさわることがあるとそのことははっきりとわかった。彼は本当に好人物ではあった。それは過ぎると言ってよいほどだったし、本当にそうなのか、と疑ってもよいくらいのものだった」。
LTCMのやり方は極端にアグレッシブだったが、彼らのイタリアでの賭けは、ソロモンのアービトラージ業務などと同様、ファイナンス理論に忠実にしたがって行われていただけだ。デリバティブ店頭市場を利用することによってLTCMは取引を表に出すこともなかった。ここで鍵となったのはイタリア市場では二つのイールドカーブが正常に機能していなかったという点だ。
すでに第3章で見たように、イールドカーブとは超短期の借り入れから、30年超の長期債を時間系列的に表し、グラフにしたものである。アメリカでは米国債イールドカーブベンチマークとなっている。
1980年代以降になって、これに代替するベンチマークが世界の巨大な債券市場でその地位を築いてきた。それはスワップ・カーブと呼ばれ、いろいろな期間における金利スワップの価格を示したものである。ここでいう価格とは、決められた期間において継続的に支払われる変動金利の市場価値を表したものだ。
国債と違い、スワップは主にロンドンやニューヨークの投資銀行の間で取引されるデリバティブ契約のことである。アメリカでは、取引相手としての金融機関は政府と比較して信用リスクが高いと考えられている。スワップ・カーブは、例えば波の上に浮く泡のように、米国債イールドカーブの上に乗るかたちで形成される。この泡の部分の厚さ/幅のことがスワップ・スプレッドと呼ばれる。
しかし1994年においては、ロンドンの投資銀行からイタリア・リラのスワップ金利の支払いを受ける方が、イタリア政府の国債を購入しそのクーポン金利を受けることよりもリスクが低いという現象が生じていた。言い方を換えれば、当時イタリア・リラ・スワップ・カーブと呼ばれていたものは、市場ではより高く評価されており、これをイールドカーブに引き直せばイタリア国債イールドカーブの下に位置する格好で形成されていた。アメリカ市場と逆なのだ。
もう一つの要因を考慮する必要がある。スワップにおける固定金利は、将来継続的に支払われる変動金利キャッシュフローを合計したものの価値を表している。第4章で見たように将来変動金利が下がると予想されれば、スワップの固定金利水準は下がることになる。
1994年、――これはEMUが予定通り実行されるという前提においてではあるが――、市場では5年以内にイタリアとドイツの変動金利が同じ水準になってしまうと織り込まれていた。というのは、将来的に両国の金利水準は欧州中銀により決められるようになってしまうからだ。こうした背景から、リラ・スワップで支払われる固定金利は下がってゆくことになる。ところがイタリア国債に対する投資家の購入意欲は低いところで留まっていたためBTP(イタリア国債)のクーポン金利は高止まりしていた。
ハガーニや、彼と同じ考えの他のヘッジファンド、また自己勘定トレーダーたちはこうした市場の歪みを利用して、シンプルなマネー・マシーンを構築したのである。(『LTCM伝説』東洋経済新報社、2001年 271−273)
(From the translated version of "Inventing Money" pp.271-273. Thanks to Nicholas Dunbar.)

LTCM伝説―怪物ヘッジファンドの栄光と挫折

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