1998年8月ロシア危機とVAR限界枠

1996年に国際的監督機関が最終承認して以来、VARが市場リスクをコントロールする上で万能に近い手段になったことは既に示した。リスク・マネージャーは有力な数字を得て、レーダー・システムをトレーディング・デスクに張り巡らせた。ポジションが毎分時価評価されるつど、VARの数字がリスク・マネージャーのコンピューター画面上で変化する。
8月17日の週になると、ロシア関連の損失がだんだん明らかになってきた。すべての大手金融機関がある程度この市場とは関わりを持っており、みな変動の激しい市場であることをよく知っていた。
しかし、VARはどうやって計算されていたのだろうか。本質的には、それぞれのポジションのドル建て金額にボラティリティを乗じて、これらを合算する。もちろん、いくつかのポジションは負の相関性を有するので、ある程度リスクを打ち消し合うことは当然了解済みだ。
いまや、時価評価されるつど損失が増大し、ロシアはVARが急上昇することに貢献した。その結果、多くのトレーディング・デスクはVAR枠を超過してしまった。バーゼル委員会のルールによれば、そのような枠超過が何度も生じた場合には速やかに、より多くの資本を配賦するか、ポジションを縮小しなければならない。
すべての大手投資銀行はある程度レバレッジをかけているので、資本は貴重品だ。結果的に、ポジション縮小という手段が選ばれることになる。そこで、リスク・マネージャーはトレーダーのヘッドに電話して、ポジションを縮小するように、ロシアだけでなくすべてのポジションを縮小するように告げるのだ。「こっちのポジションは利益が出ているのにかい」。トレーダーが聞き返す。「ルールはルールだ」リスク・マネージャーの紋切り型の答はにべもない。
同じことが多くのヘッジファンドでも起こっていた。多くのファンドもリスク管理のためにVARを使っていたのだ。LTCMのようにどのポジションを切ろうかと選択するような贅沢は許されず、多くはロシア危機で資本を食われ、一律にポジションを縮小しなければならなかった。銀行はどこもかしこも、顧客であるヘッジファンドに取引維持のための証拠金増額を要求する。こうしたマージンコールも同様の影響があった。
ヘッジファンドと自己勘定デスクはこのための資金をどこで工面するのだろうか。彼らはまだ利益の出ている他のポジションを片っ端からあさらなければならなかったのだ。その結果、LTCMやその他のヘッジファンド、国際的な大手銀行の自己勘定デスクなどが専門にしていたスワップ国債の市場から、資金が流出し始める。
ボブ・リッツェンバーガーは、後にゴールドマン・サックスリスク管理責任者となる非常に経験豊かなクオンツだが、このように評している。

ボラティリティが上昇して、ある程度トレーディングの損失が発生している状況を想定しよう。VARは上昇し、リスク許容度は低くなる。ある民間企業にとって、トレーディング・ポジションを削減することは理に適っている。しかし、みながみな同じように行動しようとすれば、共通のトレーディング・ポジションに大きな圧力が加わることになる。

だが、なぜVAR限度枠が価格を押し下げるのだろう。それは数年前に起こったことと同じ命題なのだ。1987年10月にも起こったこと、そう、流動性である。VARはポートフォリオ保険を目的とするオプションと同じではないが、両社は同じ仮定のもとに成立している。それはマーケットに十分な流動性があり、継続性を有するということだ。(『LTCM伝説』東洋経済新報社、2001年 360−362)
(From the translated version of "Inventing Money" pp.360-362. Thanks to Nicholas Dunbar.)