ウォール街には、「トレンドに逆らうな」という格言がある。しかしこれは、「流れに従え」という意味ではない

それまでの人生で何も売ったことがなかった私は、広告スペースを売ることがどれほど厄介かわかっていなかった。だが、出版物の大きさと機会には逆相関関係があることに気付いた。出版物が大きいほど、自分が売れる広告は少なかった。つまり、最も小さい新聞が、責任やスキルアップ、収入に関して最大の可能性を与えてくれる。この見解は正しかった。気付くと私はサンフランシスコの隔週発行のフランス語新聞で広告を売っていた。この新聞社はとても小さかったので、私一人で広告部門全体を仕切った。広告の販売から図の制作、売掛金の回収まで、何でもやった。このとき、多くの人にとって明らかと思われることを学んだ。それは、責任が増えるたびに心と視野が広がり、能力が高くなるということだ。自分の機会が拡大するのだ。また、人やビジネスを判断する方法も学んだ。販売と回収の両方を担当すると、支払えない顧客、あるいは支払おうとしない顧客に販売しても無意味なことはすぐにわかる。
毎朝出社前には、テレビで株式市場の番組を見た。当時私は20歳で、投資のことは何も知らなかった。だが毎日、その番組を見た。『ウォールストリート・ジャーナル』を読み始めた。ベンジャミン・グレアムの『賢明なる投資家』を読んだ。企業について勉強し始めた。投資調査を行った。ついに、勇気を出して株を買った。ビーチ・エアクラフトという自家用機メーカーだった。数株を20ドルで買った。1週間後、株は26ドルに跳ね上がった。私は19世紀の大投資家、ジェイ・グールドの再来になった気がした。そして、株に夢中になった。
カリフォルニアに引っ越してから約1年後に父が亡くなった。父の死によって、私は、大学で学位を取るのに必要なお金だけではなく、もっと稼がなければならなくなった。カリフォルニアで30ヵ月過ごした私には、イェールに戻れる十分な貯えがあった。ここでアンと出会った。彼女は音楽理論の博士課程で勉強中だった。私は一般的な学生の仕事で得られる以上のお金をまだ必要としていたため、イェールのミニ映画クラブに、雑誌スタイルのプログラムを作らせてくれと頼んだ。一学期分の映画の写真や説明を入れたプログラムを作り、広告を売る土台にしようと思ったのだ。利益は映画クラブと分けた。この企画で得た十分な稼ぎで、イェールを卒業し、ダートマス大学のエイモス・タック経営大学院に行くことができた。ここで、株式投資のキャリアに就く、という選択肢を発見した。
あいにく、私がタックに入ったのは1980年の秋であり、株式市場が低調で、さらに下降線をたどっているときだった。2年生のときにフルタイムの仕事を探したが、市場は弱気一色で、投資の仕事はほとんどなかった。だが幸い、その年のビジネススクールの生徒で株式投資のキャリアに興味を持つ人はごくわずかだったため、Tロウ・プライス・アソシエーツに就職できた。私のキャリアの始まりと同時に、相場は強気に転じた。1982年8月のことだった。
後からわかったことだが、私は投資家という職業が好きで、この職業に向いた性格だった。生まれつき好奇心が強く、観察力があり、詳細と全体の切り替えが得意である。そして何より、投資機会を調査する過程が好きだ。企業または産業に作用する多数の影響力を理解しようとする情熱がない人は、この職業には就かないほうがいい。
最初はアナリストとして、後にファンドマネージャーとして働いたTロウ・プライスでの年月から、ニューノーマルに備えるレッスンを学んだ。まず、成功している投資家たちは、大衆に迎合していないことを学んだ。彼らは自分なりのやり方で事を進め、独自の調査をし、自分の行動の結果を受け止める。ウォール街には、「トレンドに逆らうな」という格言がある。しかしこれは、「流れに従え」という意味ではない。(From the translated version of "The New Normal" by Roger McNamee, pp23-25.)

ニューノーマル―リスク社会の勝者の法則

ニューノーマル―リスク社会の勝者の法則