LTCM危機から学ぶ


1998年の9月この惑星の表面から、とある国が消えうせた。かつては、スウィフトの描く「空飛ぶ島ラピュタ」よろしく賢い人々が、目下に棲むいつかは死ぬべき運命の生物たちを見下ろしていた。古代の海に沈んだアトランティス大陸のように、その沈没は途方もない大津波を惹き起こした。
だが、この話には現実の海や地殻変動は出てこない。大惨事があったといえ、人が死んだり物理的に傷を負うこともなかった。ではこの国(そう呼べるものならば)は膨大なる人知の構築物にあって、なおかつ世界の七不思議の現代版といったところか。
その構築物をつくったのはカネである。といっても現金とか、ゴールドでもなく、目に見えないところにある数十億ドルもの金銭にまつわる契約からつくられた。その中心にあったのは、謎につつまれた組織「ロングターム・キャピタル・マネジメント」またの名をLTCMである。LTCMは手に触れられる現実の世界においてはそう目立つ存在ではなかった。ロンドン、東京、そしてコネティカット州グリニッチの3箇所に立派なオフィスを構え、そこで200名の人が働いていただけだ。だがカネのつくりだすヴァーチャルな世界においてはLTCMの存在こそ、羨望の的であった。30年かけて出来上がった金融の金字塔であり、金融取引や投資にまつわる、宇宙船アポロ号の月面着陸にも相当する達成であった。はじめはなにもないところから、数名の天才たちがすぐれた金融インフラストラクチャを構築し、それに乗ってトレーダーたちが数兆ドルをまばたく間に大陸を越えてやりとりすることが可能になった。
そのキャッチフレーズとして「リスク管理」「金融工学」が用いられ、その工学における大前提をなす学派として天才たちが君臨した。天才たちの名はロバート・C・マートンマイロン・ショールズ、かれらはオプション価格理論の功績からノーベル賞も受け取った。
ウォール・ストリートで最高の戦士ともされたトレーダー、ジョン・メリウェザーをはじめマートン、ショールズほか数名が1993年に集まってLTCMを設立した。そこに銀行監督権をもつ連邦準備制度理事会で副議長をつとめたデーヴィッド・マリンズも加わり、LTCMは自らをマーケットの自警団と任じ、世界中に散らばるシステムの「不効率性」を除去することをめざした。おまけに、傍目には「リスクがまったくない」利益が数十億ドルも生み出された。