信用創造と1980年代の日本対外投資

1980年代に日本で起こったのは、過去最大の貨幣の錯覚だった。国内投資家や銀行だけが、貨幣の錯覚にだまされただけではなかった。全世界がだまされたのだ。じつは日本はお金を印刷して、世界を買っていた。ふつう、インフレは消費者物価指数で測る。だが、これまで見てきたとおり、過剰に想像されたお金は商品やサービスの購入に使われたのではなかった。過剰な通貨のほとんどは金融取引に向かって、資産価値インフレを起こした。そのため、消費者物価指数は安定し、1980年代前半は平均1.3パーセント程度だった。卸売物価指数は輸入価格の下落のおかげで、1980年代後半には平均して2.7パーセントも下がったくらいだったし、前半は2.3パーセント程度の上昇だった。
莫大な資本の流出が日本のバブルと結びついていたという見方を、有名なエコノミストたちは退けた。彼らは、地価の高騰が資本の流れに影響を及ぼすはずはないと主張した。日本人が売った土地は、ほとんどべつの日本人が買っている。したがって、対外投資能力の増大にはつながらない。土地の売り手はもちが根を増やしたかもしれないが、買い手のほうでは減っている。これはゼロサム・ゲームだ、と。だが、実際には地価の上昇は過剰な信用創造によって引き起こされたものだった。この過剰なお金が外国へとあふれ出したのだ。現実には、日本の大手の不動産開発業者が日本の銀行から金を借りて、ハワイやカリフォルニア、ニューヨークなど各地の優良不動産を購入するという直接的なルートでも起こったが、間接的なルートもあった。過剰に創造された信用が、生命保険会社など金融機関の資産を増大させたのだ。自由になる金が増えたので、これらの機関は投資を増やさねばならなかった。そうなれば、ポートフォリオの多様化という見地から見て、外国の資産を買うべきだ。不動産から米国債、そして外国の企業などである。
したがって、日本の対外投資は非生産的な信用創造に比例しているはずだ。図9.3は、日本の対外投資と不動産融資を比較したものである。おわかりのように、非常に変動の激しい金融データとしては珍しいほど、きわめて高い相関関係がある。日本は新たなホットマネーを創出しては、世界を買いあさったのだ。膨大な資本の流出にもかかわらず、円は弱くならなかった。それどころか、円は1985年から87年までに106パーセントも上昇した。

円の支配者 - 誰が日本経済を崩壊させたのか

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