はてな本社の京都移転を全面的に支持する

以下、代表取締役近藤のコメントです。
はてなは2001年に京都で創業、2004年に東京移転、2006年にシリコンバレー、パロアルト市にHatena Inc.を設立しました。今回、Hatena Inc.が米国にて一つの法人としての体制が整い、今後の足がかりとなる準備ができたことや、現在の規模の会社で複数の拠点で開発を進めることの難しさなども分かり、今後の開発拠点をどこに置いて事業の発展を目指すかの検討を行ってきました。京都、東京、シリコンバレーの各候補の中から、今後のはてなの長期的な成長を考えた上で、ものづくりに集中するためには創業の地である京都が最適であると考えました。
(中略)
今回の京都移転によって、はてなの新しい発展の契機をつかむと同時に、いずれは京都が日本のシリコンバレーのような場所となり、インターネット産業の流れを変えることができればと考えています。」

全面的に支持します。ひさびさに熱い気持にしてもらったので、お礼のつもりでポイントを小額送信させてもらいました。
さきほどこの知らせを見つけたばかりで、興奮も冷めやらぬ現在ですが、機会を逃す前にひとつだけ言っておきたいことがあります。
1月24日のjkondoの日記で、はてな鉢山町のオフィスから出ることになったと聞いて、はてなの「(不本意な)原点からの乖離」だと直感しました。でもそれは間違っていました。ごめんなさい。
今日の知らせがなければ、これを公にすることはなかったと思います。ですが、わたしはどうやら間違っていたようです。東京のどこかに移転するという意味だと思っていました。でも実際は京都に移転するのですね。そう、これははてなの「原点への回帰」だと思い直しました。根拠はとくにありません。ただ、そう感じました。
はてなの利用者として戻ってきた2007年春、わたしは「前よりよくなっているじゃないか」と感動しました。そのときに直感したのがはてなのオフィスは鉢山町にある、ということです。鉢山町という場所のことはだいたいよく知っています。何より母校が近かったことと、現在住んでいるところから歩いて行けます。それだけでなく20年以上前、つまりわたしが子供のときから、ここは特別な場所だと感じていました。だいたいにおいて、自動車で通り過ぎるだけでしたが、それでもやはり特別だということは直感でわかります。両親と暮らしていた藤沢市若尾山から、父方の祖父母が暮らす文京区目白台に行くとき、しばしば鉢山町を通っていました。わたしは東京が大好きで、とくに住宅地としての東京中心部が好きでした。なかでも鉢山町は目黒川から一気に駆け上った先に見える、特別な場所だと思っていました。
「住宅地としての東京中心部」と言っても、多くの人には具体的な想像ができないと思います。それはとても残念なことですが、これを読まれている方でよくわからないけれど鉢山町に興味があるという方は、グーグル・マップスはてな本社の住所を入力して航空写真を見たらいいと思います。とても緑の多い地区で、風光明媚なところです。ほんとうの丘の上なので風がさわやかで、朝晩はしんと静まりかえります。そういった空間は、東京中心部ではほとんど見られません。あえて言えば、皇居以外にはほとんどありません。というわけで、このような特別な場所にオフィスを見つけることのできたはてなは、特別なものを持っていると直感しました。
それがオフィスの入居しているビルの取り壊しのせいで移転をするとは、不本意ながらも原点から離れてしまうことになりはしないかと考えました。どこに行くのだろう、ひょっとしたら六本木ヒルズではないか? などと考えました。というのは近藤淳也さんの『へんな会社のつくり方』(翔泳社、2006年)でそう感じさせるような発言をされていたからです。

「へんな会社」のつくり方 (NT2X)

「へんな会社」のつくり方 (NT2X)

――俗っぽい質問ですけど、六本木ヒルズにオフィスを持ちたいと思いますか? 今や「IT・ベンチャー・急成長」の三題話の行き先は六本木ヒルズっていうことになっていますよね。
昔は思っていました。京都から出てくるときに、ヒルズっていくらするんだろうって。(162)

このインタビューのやりとりが頭に残っていたので、鉢山町のオフィスから出たら「行き先は六本木ヒルズ」ってことになりやしないか、などと思ったのでした。
しかしその後のやりとりで、結論として

「日本国内でシリコンバレーになれる土地って、京都だけじゃないですか」(162)

とあったので、なるほどはてなの最終目標はこのあたりかなと考えていました。ですがシリコンバレーに2006年に行くことを先に決めた以上は、京都に日本のシリコンバレーを作るにはまだ時期尚早だろうと短絡的に考えてわたしは思考停止していたようです。
それにしても、いま京都に行くとは思わなかったなあ。
近藤淳也さん、伊藤直也さん、梅田望夫さんという名前に個人的に大きな意味をこめていた最近の自分が、何かまた違った意味で大きな影響を受けることになりそうな予感がします。
京都は、いいと思います。わたしは子供のころから両親と姉に連れられてよく出かけていました。とくに好きなのは詩仙堂丈山寺のあたりの東山から見下ろす風景、それから金閣寺から龍安寺に向かう衣笠山あたりの空気が好きです。これもグーグル・マップスで「詩仙堂丈山寺」や「金閣寺」と入力してみてください。近藤さんの頭にあるはてなの新オフィスは、「京都大学の工学部(桂キャンパス)ができたあたりにドカーンって建てたい」(164)ということなのかもしれない。とてもいいと思います。やってみたらおもしろいと思います。
わたしがもうひとつ気になっていることがあります。近藤令子さんのことです。創業者の近藤淳也さんの奥さんですが、それ以上の存在感を秘めているかただと思います。夫婦で創業して公私共に第一線で協力しつづけるという例をあまり知らないのですが、これはとても本質的なことを教えてくれる物語だと考えています。たとえば佐々木俊尚さんが『起業家2.0』(小学館、2007年)で近藤令子さんの存在感をこのように表現しています。

起業家2.0―次世代ベンチャー9組の物語

起業家2.0―次世代ベンチャー9組の物語

「まあでも、人力検索がだめでもきっと彼は、他の方法でいろいろやっていくんだろうな」
とも思った。根が楽観的だったこともあるし、近藤に対する最終的な信頼もあった。だから人力検索をはなから反対することはしなかったのだった。(170)

この近藤さんに対する「最終的な信頼」というものが、2006年のはてな米国子会社設立のときにも、大きな支えとなったことは容易に想像できます。このプレスリリースを打ったのは「担当:近藤令子」さんです。今回の本社の京都移転のプレスリリースを打つときにもやはり、「最終的な信頼」がそこにあったと断言してよさそうです。
しかし、今回だけはちょっと違うような気がするのです。というのは、京都に移転するということは東京移転や米国子会社設立とは本質的に異なることだからです。近藤淳也、令子夫妻にとって京都は創業の地。佐々木俊尚さんの著書で紹介されているのは、創業の地としての京都がいかに特別であったかということです。

毎朝午前五時に起床し、京都の市街をぐるりと取り巻く山々を自転車で走り、時には市街の中心を貫く鴨川の河岸をゆっくりと歩く。そんな時間にさまざまな思念が浮かび、新たなアイデアが沸いてくる。
帰宅し、朝食を取り、会社まで約一二キロの道のりを再び自転車で走る。夜は定時の午後七時にきちんと帰宅し、午後十時には就寝――。(175)

このスタイルを頑固に守り、そのような生活から「はてな独自の不思議なサービスの数々は生まれてきた」というのが、実際のところだと見抜いた佐々木俊尚さんの慧眼はおそろしいものがある。おそるべし、佐々木俊尚。しかし、それ以上におそるべしなのは、近藤令子さんです。東京移転後の生活についてこのように佐々木さんに語ったようです。

夫婦で一緒に鴨川を散歩し、あれこれと話した日々からは遠くなった。「京都にいたときの方が、ゼロから何かを作る場所としては良かったのかも」と令子は思った。(176)

やっぱり、という以外に言葉がありません。・・・令子さん、だよな。
それから、ひょっとすると令子さんの存在感をいちばん強く世間に向けてアピールしているのは、小飼弾さんかもしれません。というのは、「小飼弾アルファギークに逢いたい」という連載の第1回「小飼弾のアルファギークに逢いたい♥:#1 (株)はてな 近藤淳也・令子 × 小飼弾・直美(前編)|gihyo.jp … 技術評論社」をポッドキャストで聞いて弾さんの令子さんへの過剰ともいえる存在感の置きかたを感じたからです。弾さんが過剰にお世辞を言っているようにも聞こえるのですが、この話の本質はそれだけではありません。この話を最後まで聞いてみると、納得がいくと思います。

令子:伊藤直也(注3)が入社したときにはかなり彼の持ってきたものとか資質とかと,近藤がぶつかり合ったりとかして,いっとき,たいへんだったこともあるんですが,結果的に,今それがすごくはてなにプラスになっているので,またそういうことが起こればいいなと思っています。弾さんがうちに来てくださることもありじゃないかなと(笑)。
弾:考えてみます(笑)。今のひと言で何か令子さんのすごさがわかりました。

この令子さんの発言から考えてみると、「何も怖気づくことなく、明け透けに自分の気持をみんなの前で言えてしまう令子さん」というような像が浮かびあがってきます。この「すごさ」はおしゃべりが過剰な弾さんの言葉も一瞬止めてしまうような存在感がある。
わたしが外から眺めていて、このように考えられるのは日ごろからはてなが情報公開を基本にしているからだと思います。これははてなのもっともすぐれたところで、これがないはてなというのは想像がつきません。京都に移転するという話が今日出てきたのはしかるべき時期をはからって、ということなのでしょう。それでもjkondoの日記を読むと、無防備にも

内装の提案をしてみたい、という方が他にもいらっしゃれば、ぜひご連絡ください。

というようなことがポツリと書いてあります。これはお世辞ではなく、「近藤淳也という人となり」なのだと思います。
わたしの個人的な感想ばかりを押し付けるように書いてきました。「ウェブ思想家」などと呼ばれる近藤淳也さんとはわたしはだいぶ違っています。ですが、何か似たものどうしがけん制しあうような、S極とS極が近づくとはじき合うような感じを受けます。これまで伊藤直也さんや、梅田望夫さんのことはしつこく褒めて褒めまくってきました。近藤淳也さんを公然と賞賛したのはこれがはじめてかなと思います。
かくいうわたしも、「住宅地としての東京中心部」でやっています。この部屋からはなかなか眺めがよく、眼前には向かいの都営住宅の庭が小ぢんまりと広がっています。鳥がいろいろやってきて、いろいろ教えてくれます。遠くにはスティール・パートナーズに買収されそうなサッポロビールの本社が見えます。夜中まで明かりが消えないので、わたしは「不本意な残業を強いるような環境に属さない」ことを心に誓って日々自分の仕事に向かいます。
それでも東京はやはり、変化が早い。これには少々戸惑いがあります。だから、はてなが京都に戻ると聞いてわたしは図々しくも「先を越された!」などと思ってしまいます。うらやましい。
ただひとつだけ。「日本国内でシリコンバレーになれる土地」は京都だけではないと考えます。わたしの故郷、神奈川県にもありますよ。