「日本語が亡びるとき」を読んで(5)

水村美苗さんが小説家として「日本語が亡びるとき」を書いたことは、すぐには多くの賛同が得られないかもしれないけれど、そのうちに「ああ、あれはこのことだったんだな」と思い返す日が来るのではないかな。なんというか、ゆっくり効く湿布薬のように。
そう思わせるのは、この部分を読んだのがきっかけだろうと思う。

数え切れないほどの文学の新人賞が生まれ、日本語に細かい網をはって、わずかでも書く才があれば拾い上げてくれるようになって久しい。すべての国民が文学の読み手でもあれば書き手でもあるという理想郷は、その理想郷を可能にするインターネット時代が到来する前、日本にはいち早く到来していたのであった。
だが、そのときすでに日本近代文学は「亡びる」道をひたすら辿りつつあった。

ここで日本近代文学が亡びる、と言っているのは日本文化が西洋で広く受け入れられ、主要な文学と認められていた土台が崩れるということを意味している。
水村さんは日本近代文学アメリカの大学では相当の尊敬を集めていることを肌で実感してきた。ここで言っているのはたぶん、いまの日本語で書かれた言葉が、その後アメリカの大学で研究の材料になるほど尊敬されることはないだろう、ということだとわたしは理解した。
水村さんは論考の締めくくりに、ドキッとさせられる言葉を表明している。

今、人は<叡智を求める人>であればあるほど、日本語で書かれた文学だけは読もうとはしなくなってきている。かれらは、知らず知らずのうちに、そこに、<現地語>文学の兆し=ニホンゴ文学の兆しを見出しつつあるからである。日本語で書かれたものの中で、よりによって、文学という言語空間が、いち早く、<世界性>から取り残された人のふきだまりとなりつつあるのを、どこかで鋭敏に感じ取っているからである。

これはいまパタパタとキーボードを打って日本語を書いているわたしにも、他人事とは思えない。
べつに文学をここで生み出しているつもりはないけれど、なにかの実用のために書いているわけでもない。なにかを伝える道具としての日本語というよりは、言葉の可能性を感じて日本語を紡いでいる。そうやって書いている自分の言葉が、「ふきだまり」に投げ込まれているのだとしたら、それはちょっと怖い。どうにかしたほうがいいのだろうか、はたして日本語で書きつづけるべきか、あるいは英語で書くほうへ自分を馴らしていったほうがいいのだろうか。そんな考えすら思い浮かぶ。
たしかに、わたしが日々読んでいるテクノロジの動向は、ほぼすべて英語が発信源だ。英語を日本語に置き換える前に、英語で読んで理解してしまえば、それでこと足りるという場面も多い。いったん英語で理解した出来事、人物、発言は、もういちど英語で読むことによって頭のなかに強く記憶される。それをなんどか繰り返しているうちに、べつだん日本語に置き換えなくても、それで「そうだった、そうだった」と呑み込んでしまうこともできる。「じゃあ、これはあっちの棚にしまって、そうしたら空いた棚にあれを持ってこよう」という具合に。その作業に日本語が介在することなく、終わってしまうこともある。
そう考えると、わたしが英語を日本語に翻訳している作業というのは、かなり面倒でややこしいことになってしまう。
じっさい、コンピュータのプログラムなどは、英語でやっている人が多くて、それをやっている人たちがみんな日本人でも、わざわざ日本語に置き換えなくてもプログラムを書くことはできる。日常生活でいっさい英語を使わない人でも、プログラムを書いているあいだは日本語をいっさい使わず、英語だけで作業するという人もいるだろう。「叡智の蓄積」という作業にかぎっていえば、日本語を使わないで英語だけで用が済むという日本人もこれから増えていくのかもしれない。なにしろ、英語のほうが通じる相手が多い。インターネット越しに、いくらでもいる。そういう世界。
それでも自分は日本語にわざわざ置き換えて、日本語で考えたい。そういう覚悟が、やるなら必要ということかな。
こういうのは、寝っころがって考えてみても、答えは出ない。とにかく毎日机に向かって、コンピュータの画面越しに、つづけてみるくらいしかないと思う。その継続のなかに、ヒントはたぶんある。
でもほんとうに、10年後の自分が何語で書いているかなんて、想像がつかないな。