校正者というジレンマ

(This is a translated version of the "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
わたしはこれまで完璧な文法、スペリング、言葉遣いをこなせるようになろうと時間をかけて努力したことはない。ほとんどの場合、わたしは話すのと同じように書いている。言葉は頭からキイボードに(今回はブラックベリイ・カーヴをつかって)流れていくので、わたしはそのままにしておく。書き終えたらいったん始めに戻って読み返し、少しだけ手を入れる。だがそれよりも大事にしているのは流れと読みやすさだ。あらゆる意味において、わたしは完璧なスペルをする人ではない。それにごちゃごちゃと書いてしまうのはいつもの癖なのだ。わたしは文科でなく工学を先攻したのでそれがときどき出てしまうのだ。
ときどきわたしのところにブログ校正サーヴィスの人がやってくるが、いつも断っている。「書く/公開する」の即時性がわたしは好きなのだ。誰かにきれいにまとめてもらうのを待っていたくない。それに、正直にいえば、わたしの言葉遣いのせいで誰かの頭をわずらわせたくないのだ。わたしのほんとうに言いたかったことが、どうして人に見抜けるだろうか?
そうは言っても、読んでくれているあなたがたの中にもミススペリング、誤字、そして文法の誤りを指摘してくれる人がいる。そのようなコメントをもらうことはいつものことだ。なかにはわたしが大文字や句読点を正しく使わないと読む気にならないという人がいる。わたしを嗤い、阿呆だと思っているらしい。
わたしはそれでかまわない。みんなを喜ばすことはできないし、そんなことをしたら頭がおかしくなってしまう。
ここはひとつ、わたしが誰かに開発してもらえたらと期待している問題解決をお話ししよう。誰かこの投稿を、意味を変えずに校正する基本的な仕組みをつくってくれないだろうか。あったらうれしいのだが。校正者はいらないけれど、オーディエンスの力による校正というアイディアならいい。ときどき「それを言うならこうでしょう」みたいなコメントをいただくと、身がすくんでしまう。誤りをみつけた人がすぐ直してしまえば話は早いだろうに。ミススペリングも、不届きな文法も、句読点もれも、見つけたらすぐに直してしまうのだ。
これはじっさいにやろうとしたらややこしい問題で、というのはオーディエンスの力による校正が、言葉の意味まで変えてしまうのはやめてほしいからだ。わたしがしてほしいのは、たんに仕上げと、校正だけなのだ。これをめざすツールがあったら、この違いを認識して、うまく取り次いでくれるのが望ましい。
もうひとつややこしい理由がある。ブログ作成システムのようなコンテント管理システムの場合、著者以外に誰かがコンテント作成サーヴィスに入り込むことはできない。そのようなツールがつくられたら、わたしのコンテント作成アカウントにツールが入り込めるように権限認可をする必要があるだろう。これはやはり、いまひとつ信頼しきれない案だ。この手のものごとにはセキュリティやハッキングの心配がつきものだ。
誰かこの問題に取り組んでいる人がいたら、教えていただきたい。わたしは進んでベータ版試用をしてみたい。だがここで書いている投稿の仕上げをすべての人に開くには及ばないかぎり、わたしはいまのやり方でつづけるつもりだ。それでいいよ、と言ってもらえたらと思う。