無から有を生み出す

(This is a translated version of the "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
昨日わたしは10代の子ども2人と一緒に、オランジュリ美術館ですごした。これはトゥイルリ宮殿にある美術館で、ヴァルテル・アンド・ギヨームのコレクションを所蔵していて、モネの有名な睡蓮の絵もある。右に載せたのは、オランジュリのコレクションにあった、モディリアーニの描いたポール・ギヨーム像だ。
下層階をヴァルテル・アンド・ギヨームのコレクションをみながら歩くと、わたしはこのコレクションがいかにすぐれた絵画を集めているか、打たれてしまう。これはトゥール・ド・フォルスで、数億ドルくらいはいくのではないかしら、わからないが。
それでも、ここにあるどの絵画も、はじめはただの白いカンヴァスと、絵の具だった。そこからつくられたのだ。もちろん、絵の巨匠の頭と手が描いたものである。
わたしたちが人生のなかで価値を認めるものの多くは、このようにしてはじまったのだ。グーグルはこのようにはじまり、マイクロソフトフェースブックもそうだった。
このところずっと、ヴェンチャ・キャピタルのビジネスが株式市場の崩壊のあおりを受けているかと多くの人から訊かれる。それはもちろんそうだ。たしかに資本市場自体よりは少なく、どちらかといえばその結果としての景気悪化の影響のほうが多い。だが間違いなく、わたしたちの巻き込まれているこの混乱は、ヴェンチャ・キャピタルおよびスタートアップ経済にとって大きな打撃となる。
それでもわたしは、その人たちに、ヴェンチャ・キャピタルはなにか資産をある値で買って、べつの値で売るといったカネ儲けをしているのではないことを念押ししておく。ヴェンチャ・キャピタルと、アントレプレナーたちは自前のアイディアとハード・ワークを燃料にして、無から有を生み出すことで、カネをかせいでいるのだ。
これは本質的な違いで、この事実を見失ってしまうことなどありえない。無にはコストが無い。自前のアイディアや想像力、そして無から有を生み出すための自分のハードワークにはなにも払う必要がない。よく言われることだが、アントレプレナーはこれらのいずれにも払う必要がない。VCはこれらのものにいくばくか払って、結果として無から有が生まれるとき、その分け前をもらう。
そう、もし株価収益率が20から5になってしまうと、VCのリターンは減る。だがそれでもわたしたちは、ゼロの収益から1000万ドルもの収益をつくることができる。どの市場でも、善きにしろ悪しきにしろ、このような価値創造にはリターンがある。これからもずっとそうだろう。
わたしは新年の日のかなりの時間をお気に入りの美術館であるポンピドーですごそうと考えている。ポンピドーには近代美術のすばらしい作品が所蔵されていて、その多くはこの10年のあいだにつくられたものだ。
それからわたしは美術がどのように受け取られ、つくられ、ほぼなにも無いところから姿を現したのか、考えるつもりだ。これはインスパイアにみちている。わたしはこんどの新年をインスパイアを受けて、熱意で無から有をつくる企業創造の過程にわたしも参加できたらと考えている。
みんなに、2009年へようこそ。