マイクロソフト検索へのきびしい愛

(This is a translated version of the "Search Engine Land" blog post. Thanks to Danny Sullivan.)
6月に、わたしはマイクロソフトで、ウェブマスタ・ツールズ部門に携わっている人で検索に関心があるという人のために、ひとつ話をさせてもらった。わたしの話は「マイクロソフト検索へのきびしい愛」という題目で、その内容は、この会社はどうしてこの試合に参入するのに骨折っているのか、ありとあらゆる理由を述べるものだった。その中核となる前提は、マイクロソフトが会社として検索にうまく進めていないのは、検索をやならなければならない仕事だととらえているからで、心からやりたいと思っていないからだというものだ。この記事はその講演を土台にまとめたものだ。おまけに映像もある。
最初に念を押しておきたいのは、マイクロソフトにも検索が好きで仕方ないという人もいるということです--とくに、検索製品に携わっている人のなかには。それから、わたしはできることならマイクロソフトがうまくやってほしいと思っています。ほんとうに思っているのです。グーグルは好敵手を必要としていて、マイクロソフトはそれに見合うだけの質の良い検索製品を持ち合わせている。だが哀しいことに、これだけ熱意をもってなんとかうまくやろうとしている同じマイクロソフトの人たちが、会社が全体としてインターネットや検索をなにかの余興であるかのようにとらえていることに意気消沈しているのを、わたしはやはり感じずにいられません。
マイクロソフトの検索部門にはきびしい愛はいらないでしょう。わたしの不快なメッセージを受け取るはめになるのが、よりによってかれらだということに謝らなければいけません(それからいまもそう思わせてしまったのならもういちど謝ります)。むしろわたしが願っているのは、マイクロソフトの残りの人たち、とくに重役の人たちにそれが届くことで、それをきっかけにマイクロソフトがうまく進むよう手を貸してくれることです。
このマイクロソフトの記事は、三部作、というのはわたしが今年大手検索エンジンが2009年にかけてどうなるかをまとめた記事ですが、そのひとつを満たすねらいです。マイクロソフトの試練についてもっと知りたいと思われた方には、つぎのふたつの記事を読まれることをおすすめします。「ヤフーとその失敗: 神話と現実」「グーグルの集める頭脳
バルマーはどこ? 最前列にはいない
はじめにマイクロソフトにかんして、検索とは直接関係ありませんがひとつ個人的なお話をさせてください。ここでお話をしていると、わたしの話は頭でっかちのほら話みたいに聞こえるかもしれません。そうじゃないといいのですが。そうならないようにつとめますが、まず個人的な話をすることで、いくぶん和らげてくれるのではないかと思います。
わたしは検索のことはずいぶん長く--今年で13年、取材してきました。これ以上に長く、すくなくともわたしほど深く、(言わせていただけるなら)プロフェッショナルな水準までやってきた方は知りません、わたしが検索を取材しはじめたとき、マイクロソフトはまだ検索エンジンをやっていません。わたしが検索を取材しはじめたとき、グーグルは存在していません。検索のことを聞きたいという観客を満足させようとしたら、わたしにはそれなりの実績はあると言えそうです。
検索エンジンが話題として持ち上がったきっかけのひとつに、わたしが10年前に主催した検索マーケティング・コンファレンスがあります。ありがたいことにわたしはこれまでに大手検索企業の重役と「キイノート対談」をしてきました。この人たちです:

この4年近く、わたしはなんとかしてマイクロソフトビル・ゲイツかスティーヴ・バルマー、どちらでも同様のキイノート対談をやろうと働きかけてきましたが、運がなかったようです。わたしは大きなコンファレンスがあるたびに依頼をもちかけました。マイクロソフトのPRの人たちが最善をつくしているのはわかります。しかし、結論は? わたしが主催した検索コンファレンスで舞台に出ることは、この4年間でいちどもなかったのです。いちども、ですよ。
今年は3回、舞台にあがって戴けないかと依頼したのですが、やはり引き受けていただけませんでした。それでいて、バルマーとゲイツは今年のDコンファレンスにはそろって登場しているのです。
ウォルト・モスバーグ(あの才女カラ・スウィッシャーと一緒にDコンファレンスを主催するふたり組の片割れ)はテクノロジ・ジャーナリズムの巨人で、かれがポジティヴなリヴューをすれば製品が流行り、ネガティヴなリヴューをすれば廃れるという人物です。かれの舞台に出るというのはマイクロソフトの重役ふたりにとって、自然なことでしょう。かれの雄弁にかかれば、マイクロソフトの中核の製品について大事なことを言わせてもらえると、わかっているのです。
わたしは? わたしは、かれらにすれば会うと言ってもただの検索屋で、事前に誰かにちょっと耳打ちしてもらえばいいや程度の相手でしょう。そこでふたたびウォルト・モスバーグですが、かれが2005年にわたしの仕事についてつぎのように耳打ちしてくれたものがあります。

グーグルや、ふつうに検索事業のことに関心があるなら、読んでおくブログはふたつある。ひとつは「ジョン・バッテルのサーチブログ」(battellemedia.com)だ。もうひとつは「サーチ・エンジン・ウォッチ」ブログ、これは検索グルのダニー・サリヴァンがやっている。

まあ、わたしはウォルト・モスバーグではありません。それでもわたしは、ウォルトが観客にむかって、検索のことならこのふたりに注目せよと言ったうちのひとりです (もちろん、この頃わたしが書いているのはここ「サーチ・エンジン・ランド」のほうですが)。検索がほんとうにマイクロソフトの中核の製品であるなら、ゲイツやバルマーがわたしのイヴェントにいちどくらい出てくれてもよさそうなものですね。
これはわたしだけではなくて、大手検索コンファレンスはどれも、このふたりの登場が実現したことはないのです。何年ものあいだ、小規模なコンピュータ・セキュリティ関連、ソフトウェア開発関連、金融関連のコンファレンスまで出て、わたしはかれらに呼びかけました。しかし検索の観客の前に出て、検索が会社の将来を左右するほど重要だと言ったことがありますか? ありませんでした。
バリイ・ディラーとのインタヴューは、舞台にあがるまでのかれの反応を見ただけでは、信じられないような経験でした。あれは 2006年のことで、アスク・コムは大いなる野望のもと、再出発をとげたばかりでした。ディラーは2,000を超える人が集まったキイノート・ホールに姿を現して、わたしのほうを向いて驚きと喜びのまじったような顔で、言いました。「なんですか、あの人たちは?」
「あれは、あなたのお客さんですよ」とわたしは応えました--目に浮かぶでしょうか、たくさんの人が彼のほうに集まって、グーグルの好運を後押しすることになった検索広告の話をもちかけるのが--このように、かれが思い描いていた以上に人間の重みをもって、差し迫ってきたのです。
ディラーとの対談のあと、わたしはたくさんの参加者と話をしました。どうやらアスク・コムへの印象はよくなったようです。これはその男--伝説の男--が時間を割いて、ここに会いにやってきたからです。ディラーのような人が現れるというのは--エリック・シュミットでも、サーゲイ・ブリンでも、ジェリー・ヤンでもそうですが--予算をとるのに精一杯だったり、かれらを尊敬している検索マーケティング担当の人たちにとっては、途方もなく大きな意味のあることです。それだけでも、自分がなにか達成したような気になるのです。これで誰かに認めてもらえるぞと。
いまはバルマーがマイクロソフトを指導しています。わたしは心底から、かれが検索コンファレンスに姿を現してくれないかと思います。かれには、ディラーのような経験が必要なのです。かれはマイクロソフトが自分で主催するイヴェントや、検索が副え物になってしまうようなテック・イヴェントにはしばらく出ないようにするべきです。それよりもかれが脇目もふらずに行かなくてはならない、大事な観客、つまり検索マーケティング担当の人たちのほうを向くべきです。それから検索マーケティング担当の人たちは、わたしがマイクロソフトにしつこく言いつづけているとおり、そのような参加をすればマイクロソフトのことをこれまで以上に大事に尊重するようになるのです。
ひょっとしたら、わたしはかれを呼んでくるのに苦労したと書くことで自ら橋を焼き落としているのかもしれません。ひょっとしたら、わたしがうまく言い当てることによって、ほかのコンファレンスが、かれの従者からなにか得をしているのかもしれません。それならそれでかまわない。マイクロソフトはほんとうの最前列に、かれを引っ張りだしてくるべきなのです。
検索という雑用
バルマーが時間を割いてこなかったという事実は、わたしがこれまで感じてきた、マイクロソフトで検索といえば「雑用」だとか「宿題」といった、トップダウンで課せられた義務のように扱われているという、印象の一部にすぎません。もし検索がじっさいにバルマーが10月BBCに語ったとおり、かれの「お気に入り事業」であるのなら、わたしの読みとは大きくはずれることになります。
マイクロソフトはその中核からしてオペレーティング・システムでありソフトウェア企業です。いまでもこれが巨大な売り上げを生んでいます。そこにどこからともなくグーグルがやってきて、検索からこれに匹敵するほどのカネを生み出し、マイクロソフトのOS/ソフトウェア分野に乗り込んできたのです。レドモンドからこごもった声が聞こえてくるようです。「おや、わたしたちもこの検索とやらをするべきなのかもしれないね」
ここで、グーグルとマイクロソフトが、この数年でそれぞれが繰り返してきたことを、タグでくくって考えてみましょう。

  • グーグル: 検索、広告、アップス
  • マイクロソフト: ソフトウェア+サーヴィシズ

検索は、マイクロソフトのタグのどのあたりにあるでしょうか? そう、存在しないのです。たぶんサーヴィスに入るのでしょう。それか、ソフトウェアかもしれません。グーグルのように最初に出てくるとは思えませんね。グーグルがなぜ成功したかわからないという人はいますか?
グーグルがカネをかせぐために検索をはじめたのではないことを確認しておきましょう。そうですね、はい。ラリイ・ページとサーゲイ・ブリンはたしかに金銭的な成功は望んだでしょう。しかし何よりも先立って、かれらは検索の改良に挑戦することが大事だと考えたのです。かれらは検索はもっと改良できると考え、それがグーグルをつくる動機となったのです。そのサーヴィスにかかる支払いのことはあとで考えようと決めたのです。マイクロソフトは、誰かのために検索をはじめようというのが第一の動機でなかった--自分たちのためにはじめたのです。
最近バルマーがウォール・ストリート・ジャーナルに語ったことばを引用してみましょう。

ヤフーと検索にかんする取引を行なうにあたって土台となる理由は、広告の市場で一定の影響力を成すためです。テクノロジだとか、それ以外の理由とはちがいます。これはまったくのところ、市場の現象のひとつなのです。わたしたちは手を組んで、広告主を増やしたい・・・それはつまり、より効き目のある広告をわたしたちのページに載せたいということです。より高い収益水準を上げるということの理由は、より多くの人が、より多くのキイワードにカネを積むからです。いちばん大事なのは、グーグルがもっと早く、手強い競合になっていたことだって、ことによってはあり得たかもしれないということです。

わたしはこれを読んで、文字通りため息をつきました。なにより、マイクロソフトが検索への取り組みをつづけてきたのは広告でカネをあげたいからだという、ほかの役員の人たちからも聞いた覚えのあることばのくり返しだったのです。そこにある言葉という言葉がすべて同じように読めてしまうのです。よくわかりました--マイクロソフトは検索でカネがもうかると考えていて、その一部が欲しい、と。しかしそれは誰だっておなじことです。なんとなれば、単に相手がマイクロソフトだからといって、なにかの宣言のようなことをこちらの方で真に受けなければいけないというわけではないからです。とくに、検索をやる理由その一が、グーグルから広告による現金を奪い取るためだ、と世界にむかって言うとは、なんともおぞましいことです。これではなんだか、たとえばアップルがマックを売るのは、世界であまりに多くのカネがウィンドウズPCに使われているのを示すためだと言いふらすかのようです。
アップルはそんなことはせず、消費者にマックの利点を示しつづけています。マイクロソフトは消費者の暮らしを改良するために検索をやるのだと言いつづけるのがいちばんでしょう。そう、いろいろな機会に、マイクロソフトは検索を改良する余地がどれだけあるか、説いてきたのです。しかしそれが全体をつかさどる第一の理由ではない。ここで2005年にもどってビル・ゲイツの言葉を引いてきましょう。

わたしたちはグーグルが台頭してくる前から、検索事業に関わってきました。取締役会で出した取り決めは、独自の検索テクノロジを打ち立てようというものでした。マイクロソフト・リサーチを見ていただければ、わたしたちが自然言語、文書分析、パーソナライゼーション、画像分析、言語翻訳といった分野でブレークスルーを果たしてきたことがおわかりいただけるでしょう。わたしたちの調査計画では、こんにちのマイクロソフトやグーグルの検索を大きく越えて、いままでやってきたことが冗談に聞こえるほどの進化をなしとげます。そしてその大部分は「オフィス」「ウィンドウズ」といったアプリケーションに組み込まれるでしょう。わたしたちのデスクトップ検索機能は、すくなくともわたしが見てきた試作品はどれも、ウーグルの出してきたものよりはるかによくできています。
というわけでわたしたちは、デスクトップで十分競争できると思います。これはウィンドウズにとって鍵となる技術革新の分野だからです。クラウドでも十分競争できると思います。というのは、マイクロソフトとグーグルとヤフーの競争こそが改良を進めるとわたしたちは考えているのです。
検索で誰も成し遂げたことのない最高の仕事を誰かがやってくれて、そこに大きな売り上げが生じないのなら、それはわたしたちのやるべきことではありません。しかし、じっさいはこれと正反対です。地図や仮想世界の内容を読み取ったり、文書分析ができるからといって、こんにちの検索では何もなりません。わたしたちがソフトウェア・テクノロジを生かして、検索を新しい水準まで押し上げ、それを収益を大きくあげる事業にするのです。

わたしのほうで大事な部分を太字にしておきました。この当時でさえ、マイクロソフトは大きく収益のあがるものでなければ検索はやらないと言っているのです。そのために、かれらは飛び込んできたのです。ゲイツがこの発言をしてから4年--インターネットでは一世代か二世代ですね--マイクロソフトは約束通り検索を改良したとは言えないでしょう。
さらに言えば、マイクロソフトは商売にならないとみなした重要な検索プロジェクトから手を引いてしまったのです。たとえば書籍検索です(「マイクロソフト、書籍検索を焼き捨てる--『消費者向け』に至らず」を参照)。ひるがえって、グーグルは書籍検索を優先させて進めました。これは書籍には検索可能な重要な知識があると認めたからです。グーグルは、ずいぶん話題になったように、スキャニングの取り組みの法的問題に直面しましたが、これを切り捨てるのではなく、これをしつこくつづけたのです。皮肉なことに、グーグルが訴えられた書籍検索の訴訟の和解が最近あったおかげで、書籍検索はこの企業の悪くない収益源に転じる可能性があるとともに、マイクロソフトはグーグルとの競争のバランスをとるために必要な相手として救われることになりました。
ついでにバルマーがヤフーについて語った話に戻りましょう。広告主が増えたからといって、効き目のある広告が増えるわけではなく、このような発言を、かれのように高みにいる人物が言ってしまうのは、まったく困ったことです。グーグルは品質スコアだとか、広告の効き目だとか、広告主の増員だとかといったことを、いつかやめてしまうかもしれない。そうすればマイクロソフトも手を緩めて同じことになるかもしれない。広告の効き目が上がるとはかぎらないのです。
ヤフーとの取引をするにあたって土台となる理由は、ヤフーにはマイクロソフトよりおよそ2倍の検索がなされているからです。検索エンジンをつかう人がたくさんやってきて、人がたくさんやってくれば、広告主を惹きつけることになります。本物のグーグルの好敵手となるには、マイクロソフトはもっと多くの客を呼び、もっと多くの広告主を呼ぶしかないのです。
検索はソフトウェアではない
グーグルとマイクロソフトのもうひとつのちがいは、マイクロソフトは検索をソフトウェアだと考えているらしいことです。ライヴ・サーチはリリース予定にしたがって機能を追加しており、これはまるで検索が定期アップグレードを繰り返すソフトウェア製品のようです。90年代後半にはほかの検索エンジンがそのような運営をしていたことがあります--たとえばインクトゥミのように。しかしその多くは消えていきました。
グーグルはなんの予定にもかまわずに取り組んでいるようです。新しい機能が準備できたとみればいつでもリリースされ、それが第1四半期だろうと第2四半期だろうと、かまわないのです。
このようなソフトウェアとしての見方が、マイクロソフトの痛手になったかどうかはわかりません。これは単に、ふたつの企業のちがいを指摘するものにすぎません。しかしグーグルが優位に立っていることをみれば、検索については「リリース」と「アップグレード」という考え方を窓から捨ててしまったほうが当たりなのかもしれません。
それと関係あるかわかりませんが、マイクロソフトはソフトウェアを熱心に改良して「納得がいくまで」リリースしつづけることで有名です。わたしはこれがかれらに検索も同じだと思わせる原因になっているのではないかと思います。マイクロソフトは勝ち残るまでこつこつ働く、いつもそうしてきた、というわけです。繰り返しますが、検索はソフトウェアではありません。それに、時間はいくらでもあるわけではありません。このような態度を維持している人は、その前提を見直してみたほうがよさそうです。ついでに「エックスボックス」とはマイクロソフトがその熱意と意志で、たくさんの資金をつぎ込んで新しい市場に乗り込むための方法のひとつだと考えている人に訊きますが、それでは「ヘイロー」が検索に果たした役割とは? 誰もが知るゲームが多くの人にマイクロソフトで検索をするきっかけとなるか? そういう人がいますか?
マイクロソフトであることを忘れよう; 統合することを忘れよう
マイクロソフトを長年取材してきて--マイクロソフト製品を利用してきて--わたしがいちばん感心したことのひとつは、この会社がすべての自社製品は統合されて釣り合いがとれていなければならないと考えていることです。それが公然のかたちではなくとも、いろいろなかたちで、その顔をのぞかせていまでも潜んでいるのです。
ひとつ例をあげましょう。グーグルはNORADと連携して、サンタ追跡をやっています。マイクロソフトはそれに乗じて、NORADのサンタ追跡は陳腐化していると言い張り(そんなことはない、陳腐化したものと、NORAD恒例行事とのちがいは、50年以上のちがいがあるのです)そしてサンタのワークショップの3D版を出してきます。しかしこれを使うためには、「ヴァーチャル・アース3D」が必要です--これはマック・ユーザには使えません。そこでマイクロソフトは自前のサンタ追跡機を出してくるのですが、これはやはりわたしのマックでは動きませんでした
あら探しがすぎるって? そうですね、わたしはマイクロソフトの検索製品を何年も見てきました。はじめマイクロソフトは、サポート抜きにファイアフォックスではまともに動かないように仕組んだのです。検索マーケティング担当の人たちは、たとえば「アドセンタ」が公式始動してから、ファイアフォックスのサポートが出るまで2か月も待たなければなりませんでした。
ひるがえってグーグル製品は、ほかのグーグル製品の宣伝に使うためのものとわたしが感じたものはほとんどありません。たしかに、なかには相乗りをねらった宣伝のたぐいはありますし、それは前よりも増えています。たしかに、グーグル・ツールバーには自前のURLブックマーキング・サーヴィスがついてきて、「デリシャス」はついてきません。しかしほとんどの場合、前の「グーグルの集める頭脳」の記事でもうすこし詳しく取材したように、グーグル製品は連携するというより、それぞれが独立して動くようになっています。
マイクロソフトが検索で勝ち残るには、検索をウィンドウズやインターネット・エクスプローラと統合させることを忘れてもらいたい(注釈: 10年ものあいだ、あらゆるかたちで統合されてきたので、グーグル対抗戦術にはならないでしょう)のです。検索をオフィスに組み込むことなど忘れましょう。マックを使いましょう。ファイアフォックスを使いましょう。いや、グーグル・クロムを使いましょう。検索製品には自力で勝ち残ってほしいのです。
(part 1 of 2)
後編>