モリネズミの告白(あるいはわたしの文書保持方針)

(This is a translated version of the "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
わたしは価値のありそうなものは何でもとっておくほうで、捨てるのが大の苦手だ。それがゴサム・ギャルにとっては頭にくるらしい。だいたいの場合、彼女のほうが勝つ。だがわたしのオフィスや持ち物については、わたしのほうが勝つ。それは変わらない。
昨日わたしの友人で元同僚だったダン・マルヴェンが送ってきたイーメールで、かれは1998年と1999年の冬に、Sina.comへの初回投資を推薦するためにフラティロンに送った文書を探していると言ってきた。どうもケロッグ・ビジネス・スクールがこの投資についてケース・スタディを行なっているらしい。それはなかなかいい話だ。フラティロンの投資はわたしたちにとって非常によいものだったのだ。
わたしは「スポットライト」を起動し、sinaとタイプすると6つほど文書が見つかった。そこには投資にかんするメモ、資本の表、その他関連文書があった。わたしはこれをフォルダにまとめて、圧縮し、それをダンとケロッグに送った。これはよい仕事をしたと思った。これもちょっとした歴史資料で、それも信頼できる人に保存してもらえるのだ。
わたしが大事な文書やイーメールはすべて保存していると聞くと、人は驚く。なるほどこれは俗に言う、裁判になったとき不利にならないようにシュレッドをかけ、削除し、そうでなければ文書を破棄するべきだという説に反している。
たしかにわたしは、何度か訴訟を起こされたこともあって、法廷で証言をしたことはもうすこし多くある。そのときわたしは時間の経った関連文書を見つけ出して提出する必要があった。だがそれでわたしが不利になったことはいちどもない。それに証拠のおかげで、裁判の進行に劇的に役立ったことも何度かある。
わたしの考えを言うと、もしあなたが悪い人で誰かに悪いことをしているのなら、何があっても人に見つかる前に証拠を破棄するだろう。だがもし、あなたが善い人になろうとつとめていて、正しいことをしているのなら、あなたは人前にイーメールや文書を差し出して、誰が誰になにを言ったのか、思い出してもらうことができる。
こう言うと、おそろしく傲慢で、独善的で、無神経に聞こえるだろうということはわかる。なにが正しくなにが間違っているか、明確な答えはないと思うが、ときにはイーメールが数年経ったのち、意外な光を当てられて読まれることもある。
わたしは信託責任や契約条項といったものを格別に真面目に扱うことにしていて、できるだけ正しいことをし、人に善良かつ公平な接し方をしようとつとめている。それでも世の中にはあなたをやっつけようとして、あなたを悪者に仕立て上げようとする相手もいるのもたしかだ。絶好の配当を受け取れる証拠をもっていても、それが愚かな文書保持方針のせいでシュレッドにかけられていたり、削除されていたら、それは大損だろう。
この投稿をきっかけに、ちょっとでもいい討論や対話が生まれることを望んでいる。わたしはとくに、コミュニティに弁護士の人がいればちょっと寄ってもらって参加してもらえたらと望む。そうすれば実りのある話ができそうな気がする。